『ベルンの奇蹟』の話の続きである。この映画を観ながら、日本のサッカーを改革したデットマール・クラマーさんを何度も思い出した。
この映画は、1954年第5回ワールドカップ・スイス大会のときの「西ドイツ奇蹟の優勝」が背景になっている。
当時の西ドイツ代表チーム監督、ゼップ・ヘルベルガーが、選手たちの統制に悩んで明け方にホテルのロビーで、掃除をしているおばさんと話をする場面がある。おばさんが監督に「ボールは丸いんだよ」という。このことばを45年前にクラマーさんから何度も聞いた。ボールは丸い。どっちの方向にも転がる。勝負はどちらにでも転がる可能性がある。そういう意味だった。
ハンガリーとの決勝戦を前に、西ドイツの選手たちが、お天気を気にする。雨が降れば西ドイツに有利だ。待望の雨が降り出して選手たちは大喜びする。
クラマーさんが日本に来ているとき、京都で天皇杯全日本選手権大会が開かれた。クラマーさんといっしょに西京極の競技場に行くために、ホテルの前でタクシーを待っていたら、シャワーのように雨が降ってきた。「こういうのをジャーマン・ウェザーというんだよ」とクラマーさんが言った。雨で芝生が濡れるとボールがすべってはやく走る。スピーディーに正確なパスをつないで走るドイツのサッカーに有利なんだという。その考えが、ベルンでの決勝戦のときにあったことを、あらためて知った。
西京極の試合では、グラウンドは泥んこでパスが走るどころではない。ボールは水溜まりで止まって、力ずくの蹴りあいのチームが有利だった。それが当時の「ジャパニース・ウェザー」だった。
クラマーさんが来日して日本のサッカーを改革したのは1960年代である。「ベルンの奇蹟」から10年もたっていなかった。
クラマーさんは西ドイツ・サッカー協会で、ヘルベルガー監督の愛弟子の一人だった。1964年の東京オリンピックを控えて、日本サッカー協会がドイツにコーチ派遣を依頼したとき、ヘルベルガー監督がクラマーさんを選んで「日本へ行け」と命じた。そんなわけだから、映画のなかに、クラマーさんと同じことばや考えが出てくるのは当然である。
クラマーさんはリーグ組織の確立や芝生のグラウンド作りを40年以上前に日本に提案している。それが、いまのJリーグや各地の芝生のグラウンドになって実を結んでいる。
現在の日本のサッカーの発展は「ベルンの奇蹟」が源だった、とも言えるかもしれない。
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