映画『ベルンの奇蹟』を見た。スイスで開かれた1954年第5回ワールドカップを背景にした物語である。
サッカーそのもの、ワールドカップそのものがテーマではない。敗戦後間もないドイツの炭鉱の町で、戦争に痛めつけられた貧しい家族が、親子の愛情、夫婦の愛情を取り戻して立ち直っていく話である。
ぼくが見た批評では、サッカーの映画ではなく家族愛を描いた映画であることを強調していた。しかし、ぼくはこのドイツ映画を、やはりサッカーを中心に見た。スクリーンを通してサッカーを見、サッカーを通して敗戦後のドイツの人びとの暮らしを見、戦争の悲惨と家族の愛情に心を打たれ、そして最後にサッカーのすばらしさに感動した。
1954年のワールドカップは、第2次世界大戦後2度目の大会で、敗戦国のドイツは、国土も人びとの暮らしも打ちのめされていた。そのドイツが戦後初めて参加を認められ、当時無敵を誇っていたハンガリーに決勝戦で逆転勝ちして優勝した。この勝利は、当時の西ドイツの人びとに限りない勇気を与え、その後の西ドイツの「奇蹟の復興」の原動力となったとさえいわれている。
ワールドカップの歴史を書くとき、ぼくはこの大会を「西ドイツの奇蹟」と呼んでいたが、ドイツでは決勝戦の会場になったスイスの都市の名をとって「ベルンの奇蹟」と呼ぶらしい。それが、この映画の題名になっている。「ベルンの奇蹟」は世界のサッカーの伝説であり、ドイツ国民に語り継がれる伝説である。
スイスからのラジオ中継をきいた炭鉱の町の子どもたちが、小さな、でこぼこの土の広場で、興奮してサッカーをする場面が出てくる。欧州や中南米に行ったとき、なんども見かけた光景である。
決勝戦の間、町の通りには人っこ1人なく、人びとは室内でラジオに聞き入っている。これも欧州や中南米でよく見聞したことである。教会の神父さんも集まって1台のラジオを囲んでいる。
決勝戦で2点をあげたヘルムート・ラーンのマスコット・ボーイになっている少年が主人公である。エッセンの町で、少年はラーンのカバンを持っていっしょに練習に行く。
こんな場面が次つぎに出てくる。これが「サッカーのある暮らしだ」とぼくは思う。ドイツでは、敗戦の焦土のなかにも「サッカーのある暮らし」がすぐ芽生えたんだ。
これから『ベルンの奇蹟』を見る人には、ワールドカップの歴史の第5回大会の章を読み返して出掛けるようお薦めしたい。 |