イタリアのサッカーで、観客の騒ぎが相次いでいる。
欧州チャンピオンズリーグの準々決勝、4月12日のミラノ・ダービーで主審の判定に怒った一部の観衆が、ピッチに発煙筒を投げ込み、試合は後半30分で打ち切られた。
このとき、発煙筒の一つが、ACミランのゴールキーパーのジーダの頭を直撃した。その場面を3枚の連続写真にして、AP通信が配信した。日本の新聞にも掲載された。
それを見て「うーん、載せないでおいてほしかったな」という思いがした。
その理由は二つある。
一つは「サッカーは危険なスポーツ」という誤ったイメージを植え付けたら困るからである。
もう一つは、日本のマニアのなかに真似する者が現われたら困るからである。
「サッカーマガジン」が1966年に創刊されたときの初代の編集長は関谷勇さんだった。その関谷編集長が「うちの若い者が、欧州や南米のサッカーの騒ぎを載せたがるので困るんですよ」と言ったことがある。
その当時の日本では、サッカーは、ほとんど人気のないスポーツだった。そこで、サッカーファンの若い編集者は「欧米では、こんな事件が起きるほど人気のあるスポーツだ」と読者に報せたい思いで、騒ぎを取り上げたがったらしい。
関谷さんは少年雑誌や野球雑誌を手掛けてきた老練な編集者だった。メディアが読者に与える、さまざまな影響を十分に知っていた。だから教育的に考えたのだった。
1966年のワールドカップでイタリア・チームが北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に負けて帰国したとき、ローマの空港で腐ったトマトをぶつけられたことがあった。当時、東京の新聞のスポーツ記者だったぼくは、マガジンの若い編集者と同じ気持ちで、このニュースを記事にした。だから、関谷さんの話を聞いておおいに恥じ入った。
1998年のフランス・ワールドカップで日本代表チームが1勝もあげられずに帰国したとき、32年前にローマ空港で起きたようなことが成田空港で起きた。ぼくは関谷さんの話を思い出して、また恥じ入った。
マス・メディアは、世の中で起きたことを伝えるのが使命だから、事件が起きたら報道するのは当然である。サッカーの騒ぎについていえば、事件を起こさないようにするのが先である。
とはいえ、なかなか難しい。サッカー好きの人間としても、ジャーナリストとしても、自戒しなければと思う。
|