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サッカーマガジン 2005年2月8日号
ビバ!サッカー

赤い稲妻を暖い風で迎えよう

 ワールドカップ・アジア最終予選で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表チームを日本に迎えることになった。2月9日、埼玉スタジアムである。
 この試合の警備で、日本サッカー協会も、警察当局も、ぴりぴりしているらしい。政治がらみの問題がこじれて、日本の多くの国民が北朝鮮に悪い感情を持っている。それが原因でトラブルが起きるのを心配しているのだろう。
 試合を応援する人たちについては、ぼくは心配していない。日本のサポーターはレベルが高い。国際的な知識も持っている。日本代表を熱心に応援はしても、相手チームやそのサポーターに礼を失するような行動はしないだろう。
 北朝鮮のサッカーについては、思い出がある。30年以上前の話だが、二つの国の間の冷たい関係をサッカーでなんとかしようという試みに加わったことがあるからである。
 そのころ、日本と北朝鮮の関係は、いまよりもずっと悪かった。政府間の接触はまったくなく、新聞記者が取材に行く機会も、きわめて限られていた。
 なんとか両国の関係に風穴をあけたいというので、1972年に札幌で冬季オリンピックが開かれたとき、北朝鮮から来た役員に接触して、日本のサッカーチームを親善試合のために北に送る合意ができた。そして、その年の5月に高校選手権で優勝した習志野高校のメンバーが北朝鮮を訪問した。戦後初のスポーツ交流である。この訪問に同行して、ぼくも日本のスポーツ記者として初めて北朝鮮のスポーツを取材した。
 そのころの日本のサッカーのレベルは低く、試合はかなり差がついた。習志野高校の西堂監督が、スピードにのった相手の攻撃に「まるで赤い稲妻だよ」と驚嘆して「赤い稲妻」が北朝鮮のサッカーの代名詞になった。
 このときの考えは、こうだった。
 政治的な接触で両国関係の打開をはかるのは当時の状況では難しい。政治と縁の薄いスポーツの交流で暖かい風を送って厚いマントを脱がせよう。つまり、お互いの警戒心をとこう。そういう狙いである。これは日本の当局の表には出さない考え方と通じていた。
 翌年、平壌(ピョンヤン)軽工業高校のチームを日本に招き、さらに事実上の代表チームである4.25クラブを招いた。ぼくがかかわったのは、ここまでだがその後、期待したほど関係が改善されなかったのはご承知のとおりである。
 ワールドカップ予選は、お互いにフェアに堂々と戦い、礼節をもって応援し、サッカーが両国の間に暖かい風を送ることができたらいいな、と考えている。


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