アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 2004年7月20日号
ビバ!サッカー

V3は岡田監督の出発点?

 「ひょっとしたら、これは岡田武史監督の出発点になるのかな?」
 横浜F・マリノスがJリーグ・ファーストステージで優勝した日の夜、ぼくは北千住のサッカー居酒屋の隅でつぶやいた。
 岡田武史は、すでに、1998年ワールドカップで日本代表を率いている。その後、コンサドーレ札幌を引き受けて好成績も残している。昨年はファーストステージもセカンドステージもとってJの完全優勝を達成した。いまさら「監督の出発点」とは言えないが、ぼくにはまだ名監督というイメージはわいてもない。 
 だからこそ、のちになって「2003年のマリノスの優勝は岡田武史が世界的になる足がかりだったな」と思い出すようになればいい、そういうふうになってほしいと考えたわけである。 
 大監督、名監督と呼ばれるには、第一に風格、第二に個性、第三に国際的な実績が必要だと思う。 
 風格といっても、必ずしも道徳的に円満ということではない。取り囲むサッカー記者たちが、親しいなかにも自然に一目置くような雰囲気をもっている監督がイメージである。
 フランス・ワールドカップの予選で、中央アジア遠征の途中に加茂周監督が解任され岡田コーチが昇格した。そのとき「新監督は歩き方まで変わった」と書いた覚えがある。重圧を感じて、心に余裕がなく、虚勢をはっているのではないかと思ったものである。風格は感じられなかった。 
 強烈な個性は、競争社会のなかで際立つために必要である。 2002年ワールドカップ日本代表監督のトルシエは、風格を伴っていたかどうかは別として、個性は際立っていた。 
 実績についていえば、岡田監督のマリノスV3は出発点としては十分だろう。だが、国際的ではない。 
 ところで、マリノス優勝の話を北干住の居酒屋でしていたのには、わけがある。駅ビルの文化センターで毎月、第2、第4土曜日に「ビバ!サッカー講座」を開催している。そのためにJリーグの現場に行けなかったからである。講座が終わったあと近所の居酒屋に行って、テレビを見ながら、わいわいがやがやと、みんなで勝手な論評をする。その中で岡田監督論も出てきた。 
 でも話題の中心はユーロだった。 
 「ユーロの監督たちは、負けると責任をとらされるが、やめても、すぐ別の有力チームに引き抜かれるな」という話が出た。なるほど、そういう監督、コーチのマーケットのなかで評価されるようにならないと、名監督も本物ではないのかもしれないとも思った。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ