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サッカーマガジン 2004年6月22日号
ビバ!サッカー

ジーコ監督批判は沈静化?

 日本代表チームの2度にわたる欧州遠征が予想外の好結果で「ジーコじゃダメだ」の大合唱はかげをひそめたようだ。
 ひところは、サッカー・ジャーナリストたちが専門誌で手厳しい批判をし、全国紙の大新聞が1ページをつぶして特集を組んで、ジーコ解任論が大勢を制する勢いだった。「任せたんだから続けてやらせたら」とこのページでぼくが書いても多勢に無勢だったのだが…。
 ジーコ批判が沈静化しつつあるのは、直接には、欧州遠征でチェコに勝ち、イングランドと引き分けたという結果によるものだろう。親善試合ではあっても、欧州の強国と対等に渡り合ったのは、すばらしい。テレビで見たところ、プレーぶりは目を見張るようだった。
 欧州に取材に行ってきた友人の話によると、試合の結果がよかっただけでなくジーコと選手たち、ジーコと記者たちの関係もよくなったという。これは、比較的長い期間の合宿で、ジーコに接する機会が多かったためらしい。
 使ってもらえないことに不満を持っていた「国内組」の選手たちも、ある程度は納得するようになった。記者たちも、ジーコの話を何度も聞いているうちに考え方が分かってきた。ジーコの方針に賛成かどうかは別としても理解はできるようにはなった。
 ジーコのほうも変わってきた。
 たとえば玉田圭司をトップに使うようになった。力を見せれば使ってもらえるということを国内組は理解した。4人の守備ラインに固執しているような態度だったのに、いわゆる3−5−2で成功すると次からは3−5−2を続けた。東欧遠征の最初のハンガリーとの試合では、国内組ばかりでメンバーを組んだ。
 ジーコにとっては、方針変更のつもりではないだろう。チーム作りの途中なのだから、親善試合では、いろいろ試みて見てみたい。それに、せっかく欧州に行ったのだから、ここでは強力な相手との試合経験を積ませるために、ふだんは機会の少ない国内組にチャンスを与えるのが当然である。といっても、ひどい結果になっては困るから、相手によってメンバーや、やり方は変えなければならない。そういうことが、だんだんと周りにも理解してもらえるようになっただろう。
 とはいうものの、ジャーナリズムは移り気である。一つ試合で負ければ、ころりと風向きが変わるかもしれない。
 ぼくは、これまでの歴代の日本代表監督のなかでは、ジーコの考え方は推測しやすいほうだと思っている。親善試合にしろタイトルマッチにしろ、一つひとつの結果に一喜一憂しないで、ワールドカップ予選は任せればいいと思っている。


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