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サッカーマガジン 2004年6月15日号
ビバ!サッカー

消えるトヨタ杯の考え方

 トヨタカップが今年かぎりで発展的に解消して「世界クラブ選手権」に統合されるという話である。「トヨタカップの三つの理念も消えるのか」と、ぼくはいささか感無量である。
 トヨタカップを創設するときに、理念というのはおおげさだが、いわば三つの「考え方」があった。
 一つは一点豪華主義である。
 欧州と南米のクラブ・チャンピオンによる試合を1試合だけやる。クラブ世界一決定戦である。1試合だけだから価値がある。
 1970年代の終わりころ、当時「インターコンチネンタルカップ」と呼ばれていた試合を日本に持ってきて1試合だけやるというアイデアを、ぼくが広告企業の人に提供したことがある。そのとき、ある人が「世界各地域のクラブ・チャンピオンを集めた大会にしてはどうか」とこのアイデアを膨らませた。いわば世界クラブ選手権の構想が、当時からあったわけである。
 「それはダメだよ」と、ぼくは反対した。「世界中の人が、この試合だけに注目するんだ。ほかに余分なカードはないほうがいい」
多くの地域の代表を集めると、力の違うチームによる魅力のないカードも、いくつか生まれる。そういう試合にも、お金をかけなければならないが、収入のほうは、それに伴わないだろう。世界のテレビ視聴者の興味も分散する。一点豪華主義のほうが効率的で魅力的である。
 その当時からすでに、欧州のクラブは過密日程に苦情を言っていた。1試合だけなら日程も最小限ですむ。
 もう一つの考え方は、中立国主義だった。当時、インターコンチネンタルカップはホーム・アンド・アウェーで行なわれていたが、南米の観衆が地元で熱狂して騒ぐのが問題になっていた。第三国でやれば、ホーム・アンド・アウェーをやめるから2試合が1試合ですむ。そればかりでなく、地元観衆の騒ぎも防ぐことができる。一石二鳥である。
 第3の考え方は日本中心主義だった。第三国でやるなら日本がいい。観衆のマナーはいいし経済力もある。日本の観衆に、レベルの高い真剣勝負を生で見てもらうことができる。日本のテレビ局が作る映像を世界に発信する機会にもなる。
 この三つの考え方どおりにトヨタカップは実現した。だけど世界クラブ選手権がトヨタカップを統合すれば、かりにトヨタがスポンサーに残ったとしても、三つの理念の考え方は、消えてなくなるわけである。
 残念な話だけれど「時代が変わったんだよ」と言われれば、そうだなとも思う。


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