日本の女子サッカーが、アテネ・オリンピック出場を決めた。すばらしい。多くの人びとが、その体力作りを評価している。また追加点をめざして攻め続けた敢闘精神をほめたたえている。それもいい。だが、ぼくは選手たちそれぞれの個性と戦術能力に、あらためで感心した。
だいぶ前の話だが、新聞社でスポーツ記者をしていたころ、女子バレーボールを取材して「女子のスポーツは男子とは別ものだな」と思ったことがある。
1964年東京オリンピックのとき、女子バレーボールの監督は大松博文さんだった。回転レシーブの猛特訓がテレビなどで紹介され「鬼のダイマツ」と呼ばれた。「おれについてこい」という本のタイトルが有名になった。男性監督の強烈な個性に若い女の子が「ついていって」金メダルをとったのだと思った。
1976年モントリオール・オリンピックの女子バレーボール監督は山田重雄さんだった。オリンピックヘ出発する前の練習を見に行ったことがある。体育館の隅の机の上にノートが広げてあり、毎日の練習計画が何力月にもわたって克明に書いてあった。攻めの形、守りの形を一つずつ丹念に練習させてチームを作り上げていく予定表のようだった。
大松さんのチームは日紡貝塚、山田さんのチームは日立武蔵が母体だった。企業の単独チームで長期間いっしょに練習し、監督の強力な指導力で思い通りの形を作り上げないと、金メダルをとれる女子チームはできないのだろうと思った。
当時はオリンピックにも国内の選手権にもサッカーの女子はなかった。でも、あったとしても、こういうチー厶づくりはできないだろうと考えた。
バレーボールは敵味方のコートが分かれているから型にはまった攻めを練習でたたき込むことができる。若い女の子はカリスマ性のある指導者の信者になってついていくことができる。しかしサッカーでは個人個人の判断で臨機応変のプレーをしなければならない。だから女子サッカーで強いチームを作るのは、バレーボールよりむずかしいだろうと思った。
アテネへの出場権を得たサッカー女子日本代表は、監督のカリスマ性についていったチームでもなかったし、綿密に形を作り上げたチームでもなかった。チームをまとめた上田栄二監督の手腕はもちろん大きかっただろう。しかし、その前に個人の自主性と戦術能力があった。
かつての女子バレーボールのチームも内容をよく知れば、実は個性派集団だったのかもしれないと考え直した。
というわけで、女子スポーツについてのぼくの古い偏見を、サッカーの女子日本代表はぬぐいさってくれた。 |