アルビレックスのJ1昇格の瞬間を見ようと新潟へ行った。11月23日、J2の最終節である。
新潟はオレンジ色に燃えていた。街も、スタジアムも、人びとの心も。
街の商店の一軒、一軒に「がんばれ、アルビレックス新潟」の「のぼり」が立ち並んでいる。「アルビカラー」のポスターが掲げてある。
新潟スタジアム「ビッグスワン」では4万人のスタンドから大屋根にオレンジ色の炎が吹き上げていた。歌が、コールが、歓声が、渦巻いていた。「すごい!」と涙がにじんできた。
10年前までは「サッカー不毛の地」と呼ばれた土地の、誠実だが引っ込み思案だといわれた人びとが、どうして、こんなに変わったのだろうか?
新潟が1−0で大宮に勝ち、J1昇格とJ2優勝が決まった。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、新潟の選手たちはフィールドに倒れ込んだ。精根尽き果てたからではない。感動のあまり立っていられなかったからだろう。
インタビューを受けた山口素弘主将が沸き立つスタンドに向かって「新潟、最高っ!」と叫んだ。フリューゲルス、グランパスエイトと渡り歩いた34歳の男が新潟の人になりきっている。「すばらしい!」と、また涙がにじんだ。
アルビレックスがここまで来るには、新潟県の関係者の陰の援助があった。会社(フロント)のいろいろな「くふう」があった。反町監督はじめチーム全員の努力もあっただろう。そして、なによりも、2002年ワールドカップの新潟開催が人びとにとって大きな刺激となったことは間違いない。
こうして育ちつつあるのが「県民のチーム」としてのアルビレックスである。
他の多くのクラブには大企業の後ろ盾がある。新潟にはそれがない。県内の、あまり大きくない企業を掻き集めて応援してもらっている。スタジアムには広告看板が80くらいあった。一つひとつの協賛額は小さくても、多くのスポンサーの協力を得ているわけである。
地区ごとに後援会を組織して個人の参加を求めている。長野県に近い雪の深い町にも後援会を作って、平山征夫知事が「そんな遠いところから応援に来てくれるのか」と心配したという。
応援歌に「俺たちの誇り新潟」というのがある。チームは、すでに新潟の人びとのものである。
人びとが育て、人びとのためになり、人びと自身のものである地域のチーム。
アルビレックス新潟が、順調に伸びていけば、日本に新しいスポーツ文化が生まれることになる。 |