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サッカーマガジン 2003年11月18日号
ビバ!サッカー

ウルグアイのラジオ放送

 分かりました! 分かりました!
 何が?
 ワールドカップの始まりとラジオについて分かりました!
 先々週(11月4日号)のこのページに「ワールドカップとメディア」について書いた。そのなかで「第1回のワールドカップがウルグアイで開かれたとき、ラジオの放送があったかどうかを調べきれなかった」と書いたら、すぐに反響があった。それも、このページの熱心な読者で作っているビバ!サッカー研究会北千住の仲間が調べてくれたのである。きくはいっときの恥、きかぬは末代の恥である。
 ウルグアイでラジオ放送が始まったのは1929年だった。SODRE(電気無線ラジオ公式サービス)という公共放送の機関が設立され短波1チャンネル、中波2チャンネルの電波を出している。
 1929年という年が重要である。なぜなら、それはサッカーの第1回ワールドカップの前年だからである。「ウルグアイ政府はワールドカップに間に合うようにラジオ放送をはじめたに違いない。ワールドカップがラジオを生んだんだ」と、ぼくは考えた。
 マスコミュニケーションのメディアとスポーツは深い関係がある。
 衛星によるテレビの国際中継が本格的にはじまったのは、1964年の東京オリンピックである。当時は宇宙中継と呼んでいた。日本のNHKが米国へ太平洋を越えて生中継を実現しようと努力した結果である。
 衛旱中継が世界規模で、しかも全面的にカラーで行なわれたのは、1970年のメキシコ・ワールドカップだった。その2年前のメキシコ・オリンピックでも、カラーの国際中継が日本で放送された。あのころメキシコは、オリンピックを踏み台にワールドカップで、世界にメキシコをPRしようと懸命だった。
 というわけで、スポーツの2大国際イベントは、マスメディアの発達に大きな役割をはたしている。「スポーツはメディアの母」だったのだと思う。
 1930年当時は、欧米各国でもラジオ放送は始まったばかりか、あるいはまだ始まっていなかった。ラジオの受信機はそれほど普及していなかったし、一般大衆にとっては高価だっただろう。したがって、ウルグアイの第1回ワールドカップの放送が広く、多くの人に伝えられたかどうかは疑わしい。
 それでも、これは第1歩だった。ウルグアイの1930年のラジオ放送が、どのように行なわれたのか? それは大衆にどのような影響を及ぼしたのか? それは、これからの研究課題である。


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