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サッカーマガジン 2003年11月11日号
ビバ!サッカー

ビッグスポーツへの道

 「サッカーマガジン」の創刊3年目、1968年1月号から3月号に「新春特集・ビッグスポーツへの道」という連載が載っている。35年も前のことである。書庫を整理しようと古い雑誌のほこりを払っていて見付けた。構成解説・牛木素吉郎、イラスト・水島忠紀となっている。書いた当人が、すっかり忘れていて記憶になかった。
 1号ごとに2つのテーマを取り上げ、それぞれ2ページずつの見開きで大きくマンガふうのイラストを載せている。いまでは、こんな悠長な誌面の使い方はさせてもらえないだろう。
 1月号は、まず全国各地にスポーツクラブができているという理想である。いろいろなスポーツをやっている総合型でサッカーのトップ選手はプロである。もう一つのテーマは野球とサッカーがともにプロとして共存共栄で繁栄しているという夢である。ともに球場とスタジアムに満員の観衆を集めている。
 2月号のテーマの一つは、サッカースタジアムである。10万人以上収容できるサッカー専用競技場を夢見ている。もう一つのテーマは「サッカー学校」で、協会がしっかりした組織を持ち、施設を整えることを望んでいる。
 3月号のテーマの第一は「選手層を厚く」である。高いレベルのチームを複数作るために、毎年ジュニアのチームと単独のクラブチームが欧州や南米に遠征できるようにと願っている。最後のテーマは「ワールドカップを目ざそう」だ。当時の日本の目標はアマチュアだけのオリンピックだった。それでは望みが低い。プロアマがともに出られるワールドカップを目ざすべきだ、という提言である。
 現在、3月号の2つのテーマは、すでに実現している。2月号のサッカー専用スタジアムは、夢のとおりでないが、各地にいい施設ができているので、まずまずである。協会の組織と教育施設は、これも夢のとおりではないが、いい方向に進んできたと思う。1月号の総合型スポーツクラブとプロアマ共存の理想は、スタートしはじめたところである。
 この「ビッグスポーツヘの道」を書いたのは、日本がメキシコ・オリンピックで銅メダルをとる前である。日本のスポーツがプロとアマチュアを厳しく区別していた時代だった。このころは学校と企業のスポーツが全盛だった。
 当時の「夢のまた夢」が現在では、すでに実現したか、実現の方向へ向かっている。書いたことを忘れていた当人が「われながら先見の明があったな」と感心した。さらに、こんな記事を載せてくれた当時の編集長に感謝した。当時の編集長は初代の関谷勇さんだった。


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