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サッカーマガジン 2003年11月4日号
ビバ!サッカー

ワールドカップとメディア

 「ワールドカップのメディア学」(大修館書店)という本を出した。2002年ワールドカップの3年前から関西大学の黒田勇先生を中心にサッカーの好きな人たちが集まって研究会を作っていた。そのグループでまとめたものである。大学の研究者だけでなく、NHKの山本浩アナウンサーや新聞社の現役の記者、韓国のサッカージャーナリストの金徳起さんも報告を書いている。日韓共同、アカデミズム・ジャーナリズム協力である。
 ぼくは「ワールドカップの歴史とメディア」という題で巻頭に記事を書いた。また巻末の年表をまとめた。ワールドカップの創設は、ラジオが普及しはじめた時期だった。第2次世界大戦後の隆盛はテレビの発達と重なっている。これからはインターネットの時代である。ワールドカップの歴史は、このようなマスコミュニケーションのメディアと密接な関係がある、という考えである。 
 出版記念、研究会打ち上げの講演会とパーティーを10月13日に東京一橋の如水会館で開いた。サッカー・アナウンサーの金子勝彦さんとぼくが講演をした。金子さんは、ワールドカップのテレビ放映を東京12チャンネル(現在のテレビ東京)ではじめた当時の話、それがNHKに移ったときの話をした。ワールドカップとメディアにも、いろいろな裏話がある。 
 ワールドカップとメディアの関係については、ほかにも、たくさんの裏話があるだろう。 
  かねて疑問をもっていて、まだ答えを得ていない問題もある。その一つは第1回大会が1930年に開かれたとき、開催国ウルグアイにラジオがあったかどうかである。1920年代の後半からラジオが各国にできはじめたのだが、ウルグアイには、まだなかったのではないか。なかったのであれば第1回大会は新聞の力だけで大衆に伝えられたのだろうか。これは確認しておかなければならない点だったが、今回は調べきれなかった。
 講演会のあとのパーティーの席で、おもしろい意見を聞いた。 
 1970年メキシコ大会のとき、キックオフの時間が正午だった。これは欧州の国へのテレビ中継に都合のよいように設定したものである。暑いさなかに試合をするのは、選手にとっても、観客にとっても不都合だと非難された。 
 「でも、メキシコでもナイター設備が普及していなかったころは、昼間に試合をしてたんじゃないの。だから地元の人たちには、昼間の試合でも違和感がなかったんじゃないの」
 そうかもしれない。 
 ウルグアイのラジオについては、意見を聞くことはできなかった。


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