またも監督解任である。9月のベガルタ仙台・清水秀彦監督に続いて、今度はセレッソ大阪が西村昭宏監督を10月8日に解任した。今季、J1の監督解任は5人目だ。「こんなに手軽に監督の首をすげ変えていいのかね。フロントに責任はないのかね」と言いたくなる。
セレッソの西村監督の場合は「セカンドステージの成績不振」が理由だそうだ。ちょっと敗戦が続くと、フロントは何か手を打たなくてはならないと考える。監督を変えるのは、いちばん手っとり早い方法である。それが「ショック療法」として効果をあげることがある。
選手たちが「えっ! 監督を変えなくてはならないほど、おれたちは出来が悪かったのか」と気が付いて、がんばる。それで次の試合に勝ったりする。
でも、ぼくの見るところ、それは偶然か、一時的なものである。
過去の例を見ると、監督がうまくやれない場合が二つある。
一つは、監督と選手との衝突である。個性の強いスター選手が監督に意見を言う。監督にも個性の強い人物が多いから衝突する。そのときフロントがスター選手の味方をしたりしたら統制がとれなくなる。断固としてスター選手のほうを切るべきである。
選手たちが連合して監督と対立することもある。チームの成績が悪いときなら監督のほうが首を切られる。しかし優勝したのに、監督の首を切った例もある。そういうケースで、かつて相談を受けたことがある。「優勝監督を代えるのはよくないよ」と答えたら「そうはいかないから困っているんだよ」というのがフロントの話だった。選手たちが反監督で結束してチームを自主管理しているのが実情だったらしい。
選手たちが反監督で連合している場合も、選手のなかにリーダーがいたり、外部に画策する人物がいたりすることもある。そうなると対応はやっかいである。
監督がうまくやれない、もう一つの場合は、監督とフロントとの衝突である。フロントが試合のやり方に口を出すこともある。監督を差し置いてコーチ陣を入れ替えようとすることもある。フロントがそうしたいのなら、これは監督を解任したほうがいい。チームのことは選んだ監督に任せるべきだが、それが気に入らないなら、監督任命の人事権はフロントにある。
いずれの場合でも、フロントの責任は免れない。監督はだいたい、実績があり能力に定評のある人が選ばれている。それをうまく生かすのはフロントの責務である。安易に監督を解任するクラブのフロントの責任を究明すべきだろう。 |