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サッカーマガジン 2003年10月7日号
ビバ!サッカー

国民体育大会の意義を考える
藤枝でセピア色の試合を見た

 静岡で国民体育大会のサッカーを見た多くのファンは、国体の成年の部には関心がないに違いない。しかし、ここには日本のサッカーの中堅どころのチームが集まっていた。それに大会の運営やサッカーの町藤枝の雰囲気が、セピア色にあせた写真を見ているように懐かしかった。

昔懐かしい雰囲気
 
実に久しぶりに国民体育大会のサッカーを見た。記憶は定かでないのだが、この前に国体を見てから、たぶん30年以上たっているだろう。その間に世の中も、サッカーも大きく変わったから、事実上「初めて見た」と言ってもいいくらいだが、感想は「いやあ、懐かしい」といった感じだった。
 何が懐かしいかって、大会の運営が、まったく昔と同じである。やっているサッカーも昔を偲ばせるものがある。会場が「サッカーの町」といわれた藤枝で、町と人びとの雰囲気もあまり変わっていない。
 国体のサッカーは、もともと10月の秋季大会で行なわれていたが、昨年から夏季大会に移って、水泳などと同時期になった。今年は静岡国体で9月13日から16日まで。サッカーの会場は清水、磐田、藤枝に分かれていた。
 夏休みが終わって、東京から勤め先のある兵庫県加古川市に戻るのを利用して静岡で途中下車をして、Jリーグの清水エスパルス対ガンバ大阪の試合を見た。
 一泊して翌日、藤枝でまた途中下車をして、成年男子の準決勝2試合を見たのである。
 国体運営はほんとに五十年一日である。プログラムは厚さ8ミリもある立派な冊子だが、はじめのほうには40ページ以上にわたって役員名簿が載っている。1000円出して買ったけど、役に立つ情報はほとんどない。
 でも、ボランティアで汗を流している人の名前を記録しているのであれば、その部分は意義があるだろうと考えた。

レベルはあがっているが
  成年男子の部は、Jリーグ所属の選手が出ていないので、ほとんどがJFLか地域リーグのチームのメンバーだ。単独チーム主体に補強したところと、いくつかのチームの混成とがある。
 競技のレベルは、もちろん30年前や50年前と同じということはない。格段に進歩している。一人ひとりの 選手のテクニックは、昔とは比べものならない。戦術、戦法も、もちろん現代風である。
 しかし、試合の霊囲気は昔懐かしいものだった。
 チームのなかに1人か2人、エース格がいるが、必ずしも、その選手を生かして組み立てるようなサッカーを狙ってはいない。みんなでがんばろうという雰囲気である。
 強力な武器をもった選手はいる。自由に持たせたら、どんどんドリブルをして行きそうな選手がいる。中盤から目をみはるような強力なシュートをする選手がいる。しかし、テクニックに欠点も多い。オールラウンドではない。
 Jリーグのチームとの違いは個人の戦術的判断力である。ボールが来てからまわりを見る。相手が詰めてくるのであわててパスをする。それでパスミスが多い。これが「昔懐かしい」印象のもとになったのだろう。昔の日本のサッカーは個人の戦術能力が低かったからである。
 当日は非常に暑かった。ミスが多かったのはそのせいかもしれない。あるいは、前の日に見たJリーグの試合と比較して、ミスが多く見えたのかもしれない。

元祖サッカーの町
 国体は日本体育協会と文部科学省と地元の県の共催である。つまり、民間、国家、自治体による「国家的、国民的」行事である。その割りには、地元以外のマスコミには、大きくは取り上げられない。だから、そんな空疎なお祭りに、税金をつぎ込んでいいのか、という批判がある。ぼくも、そう思っている。
 しかし、藤枝の国体サッカーを見て、ちょっと考え直した。
 Jリーグのすぐ下に、トップレベルと底辺とをつなぐチームがある。国体は、その人たちが集まるいい機会である。
 また、かつては国体では市民が無理やり動員されて、サービスを提供しているような面があって、それが嫌いだったのだが、今では、ボランティアの人びとの活動が板についてきている。これは藤枝が、もともと「サッカーの町」であることによるのかもしれない。会場には「元祖サッカーの町」という看板が出ていた。新たに「サッカーの町」を自称する所がでてきたので元祖をつけたのだろう。
 ところで話は違うのだが、ぼくと元テレビ東京の金子勝彦アナウンサーで講演会をやる。10月13日(祝)午後2時から東京神田の如水会館でテーマは「ワールドカップの歴史とメディア」「テレビが伝えた世界のサッカー」である。そのあとで懇親パーティー(会費5000円)もある。読者の参加を歓迎している。


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