「幼稚園へのサッカーの普及を推進しよう」という動きがあるようだ。「サッカーは3歳から」という声も聞こえてくる。しかし。小さな子どもは「見よう、見まね」で育つのがいいと思う。幼雅園サッカーの性急な組織化や幼児サッカー指導のマニュアル化には反対である。
幼児用のゴール
ぼくの勤めている兵庫県加古川の大学には、キャンパス内に附属幼稚園がある。あまり立ち寄ることはないのだが、先日、用があって訪ねる機会があった。
どこの幼稚園にもあるような小さな園庭がある。園児たちの運動場である。ビニール製のいろいろな遊び道具が置いてある。そのなかに一対のサッカー・ゴールがあった。
ビニール製で中が空洞の太い筒を組み合わせたような構造で、女性の先生が一人で持ち運べるくらい軽量である。ゴールの内側をはかってみたら高さ70センチ、横幅1メートル。園児たちにとっては、自分の背丈くらいの高さだろう。ふつうの大きさのサッカーボールが一つ転がっていた。
園児たちが出てきて、思い思いに遊びはじめた。男の子が1人、ボールを転がしてドリブルをはじめる。近くにいた別の子が、足でそれにちょっかいを出そうとする。男の子はそれをかわしてドリブルして、小さなゴールに持ち込んだ。「ゴールゥゥゥ!」である。
ぼくが、びっくりしたのは、ボールをみた男の子が、蹴るのではなくて、いきなりドリブルをしたことである。
しかも、相手をかわすのに引きわざを使った。小さな足を大きなボールの上にのせて巧みに引いた。
「ボールは蹴るものだ」と思い込んでいるのは、ぼくたち古いサッカー世代である。いまのわかーい子は「ボールは足で操るものだ」と感じ取っているようだ。欧州や中南米の子どもたちと同じである。
見よう見まねがいい
ボールをとったのは、たまたま男の子だったが、女の子は、どのようにボールを扱うのだろうか?
幼児のサッカーの男女差も興味のあるところである。
同じ園庭のなかに、ジャングルジムのような設備もある。2メートルくらいの高さに金属のパイプが組み上げてある。その上段の先の方が、自動車の運転席のようになっていて、ハンドルがついている。飛行機のつもりかもしれないが、園児たちはお父さんやお母さん、あるいは通園のバスの運転手さんが自動車を運転しているのを見慣れているから、丸いハンドルでいいのだろう。
園長先生のお話では、ここは園児たちにもっとも人気があって、朝、幼稚園にくると、席の奪い合いになるという。ぼくが見たときには女の子が操縦席に座っていた。
こういう光景を見て、ぼくは30年以上前から抱き続けている信念をますます強固なものにした。
それは「小さな子どもにサッカーを教え込む必要はない。お手本と環境と機会を与えればよい」という考えである。
いまの東京ヴェルディ1969の前身である読売サッカークラブの初期のころ「よみうりランド」のグラウンドにきた子どもたちは、ジョージ与那城やラモスのプレーを「見よう見まね」で遊んでいた。
その中から戸塚哲也や都並敏史や松木安太郎のような日本代表選手も育った。幼稚園児は、もっと年齢が低いが、幼いからこそ、お手本と環境と機会がより重要だと思う。
まず子どもを知れ
ところで、ぼくの住んでいる兵庫県のサッカー協会の会長に村田忠男さんが就任した。元日本サッカー協会副会長で2002年ワールドカップの日本招致と準備の中核だった人である。その村田新会長のインタビューが地元の新聞に載っていた。
そのなかで、村田さんが「幼稚園からサッカーを盛んにしたい」という趣旨を述べていた。それでなおさら幼稚園児のサッカーに注目したわけである。
幼稚園のサッカーを盛んにする方法が、幼稚園サッカー大会の組織や園児指導のマニュアル作りに性急に着手することであれば「反対」である。慎重に考えてもらいたい。
ぼくの考えでは、園庭に小さなゴールとボールを置いておくことが第一である。幼児用ゴールはすでに開発されている。ボールはふつうの少年用あるいは大人用でいい。とくに小さなものを作ることはない。
問題はお手本だ。楽しそうなサッカー、それも巧みな足技のテクニックに接する機会が必要である。テレビでもいいし、試合を見に連れていってもいいが、幼児の集中力は90分間は続かないだろう。ここは、くふうしなければならない。
いずれにせよ、こういうことは経験豊富な幼稚園の先生の考えを、まず聞いたほうがいい。それもサッカーの好きな人ではないほうがいい。選手出身だったり、ファンだったりすると、どうしてもサッカーにいれこんでしまうからである。
サッカーよりも先に、まず子どもを知ることがだいじだと思う。
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