ワールドカップの決勝大会出場チーム数を32から36に増やすと伝えられている。アジアからの出場枠も増えるので「日本に有利」と賛成する向きもあるようだが、大会の運営が複雑になるのには、ぼくは、あまり賛成できない。ワールドカップは分かりやすく楽しみたい。
なつかしの70年大会
「あまり賛成できないな」と歯切れの悪い表現で反対意見を述べている。ワールドカップ決勝大会の出場チーム数の問題である。
FIFA(国際サッカー連盟)は5月3日の理事会で、2006年ドイツ大会の出場チーム数を36に拡大することに基本的には合意したという。最終決定ではないが、あとは試合方式や日程について検討して、6月下旬の理事会で決めるらしい。
賛否両論あるだろうが、ぼくは基本的には反対である。現行の32チームのままがいい。ただ、反対だと言うのに「賛成できない」と、歯切れの悪い言い方をしているのは、反対の根拠が、あまりにも個人的だからである。
ぼくの理想のワールドカップは、1970年のメキシコ大会である。
この大会は、ぼくがはじめて現地で取材したワールドカップだった。だから、いろいろな面で思い出深いのだが、とくになつかしいのは、取材がのんびりしていて楽しかったことである。
このときの出場チーム数は16だった。16チームを4チームずつ4グループに分けて1次リーグをする。各組上位2チームずつが、勝ち抜き戦の第2ラウンドヘ出て、準々決勝、準決勝、決勝を行なう。
大会期間は5月21日から6月21日まで、ちょうど1カ月。試合数は3位決定戦を含めて32試合。優勝したブラジルの試合数は1次リーグから決勝戦まで6試合。ゆったりしてのんびりした、いい大会だった。あの優雅な雰囲気が、大会が拡大するにつれて失われるのが残念だ。
優雅にゆっくり取材
70年メキシコ大会のときは、2日続けて試合を見ると、次の試合を見るまでに、だいたい2日以上の休みがあった。その間にいろいろなことをすることができた。次の試合地に、ゆっくり移動することができたし、お目あてのチームの練習を見にいくこともできた。
ブラジルチームの記者会見に参加するために、グアダラハラの郊外まで出掛けたのは、忘れられない思い出である。スイテス・カリベ(カリブ海荘)という名の閑静なリゾートホテルだった。中庭のプールサイドの芝生にデッキチェアが散らばって置いてあり、選手たちが思い思いに休んでいる。それを新聞記者が勝手に取り囲むというブラジル式の記者会見である。ブラジルから来ている報道陣のためのものだが、日本人記者も入れてもらって、ペレの話を聞くことができた。試合のない日だから、そして日本が出場していない大会だったから、ぼくたちも、のんびりできたわけである。
試合と試合の間の2日の休みには、ゆっくり観光もできた。大会組織委員会が報道陣のためのエクスカーション(遠足)を毎日用意してくれた。メキシコ特産のお酒テキーラの「製造工場見学」などというプログラムを見逃さずに出掛けて、お土産を一瓶もらってきた仲間もいた。
というようなわけで、チーム数が少ないと、優雅に大会を楽しむことができる。「あのころの大会はよかったなあ」という個人のノスタルジアで「チーム数増加には反対」と思っているわけである。
32チームのままでいい
歌舞伎見物でもするように、ワールドカップを優雅に楽しむのは本筋ではない。やはり、自国の代表チームを熱狂的に応援するのが本当の楽しみ方だろうとは思う。だから日本が出やすくなるように出場枠を増やすことに賛成するのももっともではある。
しかし、どこの地域の人も、そう思うと、チーム数増加には歯止めがかからない。
決勝大会出場チーム数を増やしたのは1982年のスペイン大会である。このときに24チームにした。4チームずつ6グループに分けてリーグ戦をする。各組上位2チームずつ計12チームが2次リーグに進出する。これを3チームずつ4グループに分けて、リーグ戦をする。その1位が準決勝に進出する仕組みだった。
その次の1986年メキシコ大会では、第2ラウンドを勝ち抜き戦にした。1次リーグ各組上位2位の計12チームでは、決勝トーナメント1回戦の試合数が半端になる。そこでリーグ各組の3位のなかから勝ち点、得失点差、総得点でいい成績のチームを4チーム選んだ。このやり方は3回続いたが、合理的でないうえに分かりにくい。
1998年のフランス大会ではチーム数は32に増えた。世界各地のレベルがあがったので、チーム数を増やしたのは当然だろう。32は2の累乗なので試合方式も明快にできる。
36にすると、また試合方式が分かりにくくなるだろうと心配である。32のままにしておいてほしいけど、FIFAはご都合主義だから、そうはならないだろうな。
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