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サッカーマガジン 2003年5月20日号
ビバ!サッカー

アテネへ向けてかすかな不安
五輪予選第1戦には勝ったが

 アテネへ向けてスタートを切った若い日本代表チームに、かすかな不安を感じている。技術はいい。意欲もある。アジアでトップクラスのレベルにあることは間違いない。しかし最近の試合ぶりを見ていると、チームとしては「何か」が足りないような気がするのだが…。

セットプレーで突破口
 「後半はセットプレーから、まず1点だな」と思った。
 5月1日に東京の国立競技場で行なわれたオリンピック・アジア2次予選第1戦である。前半はミャンマーの厚い守りを攻め崩せないまま0−0で終わっていた。
 こういうときに、力ずくに攻めても、なかなか崩せない。そうかといって後方でパスを回して相手を引き出そうとしても、相手が誘いにのってこなければうまくいかない。そんな場合には、コーナーキックかフリーキックで突破口が開けることがよくある。
 ハーフタイムにそう思ったぼくのカンは、後半が始まるとすぐに的中して、5分に左コーナーキックから最初の得点が生まれた。ゴールキーパーのパンチングしたボールを、松井大輔が胸で落として中距離シュートで蹴り込んだ。
 前半に点がとれないので、いらいらした人も多かっただろうと思うが、その点では、ぼくは、それほど不安は感じていなかった。
 アジアのサッカーの歴史を長い目で見れば、ミャンマーは決して格下ではない。日本のサッカーが、アジアでは断然、上だと考えるのは思い上りである。
 ミャンマーの選手は技術もあるし、サッカーをよく知っている。守りを固めたサッカーをすれば、そう簡単には攻め崩せない。
 しかし、日本のサッカーのこの15年くらいの進歩は目覚ましい。今回はホームでの試合だし、0−0の行き詰まりを打開するくらいの策は当然あるだろうと信じていた。

ゴール前への放り込み
 山本昌邦監督の話では、前半に点がとれなかったのは「初戦で非常にかたくなっていた」からだという。そうかもしれない。そうだとすれば山本監督がいうように「こういう試合を経験していくことが大事」だろう。前半のうちに得点できなかったことには、ぼくは不安を感じなかった。
 ホームで芝生のいいグラウンドに恵まれている。パスミスが出る心配は少ない。前半はパスを回して、守りに回っている相手に追い掛けさせる。相手に疲れが出る後半に攻勢をかける。それも一つの作戦である。
 セットプレーが突破口になってゴールしたら、相手が気落ちして楽に試合できるようになるだろう。そういうふうに考えていた。
 後半にさらに2点を追加して、結局3−0で日本が勝った。思ったとおりと言いたいのだが、実は後半の試合ぶりのほうに、ぼくは不安を感じた。それほど根拠のある不安ではない。サッカーを長い間見てきた経験からくるカンである。
 日本の攻めは、後方からの長いパス、サイドからのクロスなどが多かった。最後はゴール前への放り込みである。
 前線のプレーヤーをポストにしてそのこぼれ球からのシュートを狙ったのかもしれない。サイドに開いてから攻めたのは、ゴール前を固めている相手の守りを引き出すためだろう。分からない考えではない。
 しかし、若い選手たちの良さを生かすための作戦ではない。そういう気がした。

山本監督の作戦に?
 ミャンマーのゴールキーパーが大奮闘した。高いボールも果敢に前に出てとったし、後方からのシュートは、みごとなセービングで防いだ。そのために、ゴール前への放り込みからは点がとれなかった。
 後半17分の2点目は、大久保嘉人のゴール前への密集のなかでのみごとなドリブルである。
 左から右へ切り込みながら2人を抜き、さらに切り返して1人をかわし、もう1人のディフェンダーとゴールキーパーが出てこようとするところをシュートした。合計5人抜きである。こういうふうに若者の得意なプレーが伸び伸びと出せるようだといい。
 ロスタイムに入ってからの3点目は根本裕一の左からのボールに中山悟志が飛び込んだもので、これはサイドからの攻めが生きていた。しかし根本の足技が良かったことのほうに、ぼくは注目した。
 というわけで、3−0と結果は良かったのだが、ゴール前のポストに合わせる攻めが、それほど実を結ばなかったことに、ちょっと不安を感じたのである。
 「いや、それも作戦だ。ゴール前を何度も何度も脅かしたから、相手は大久保のドリブルを防げなかったのだ」ということもできるだろう。
 「これはオリンピック予選だ。内容よりも勝つことが先決だ」と言われれば、その通りである。
 ただ、山本監督の作戦がチームを大きく伸ばしていくのに適当かどうか、そこに、ちょっぴり不安を感じたわけである。ちょっぴりの不安が大きくならないことを祈っている。


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