2002年のワールドカップの影響が、新聞などのメディアを変えたように思う。サッカーの扱いが大きくなり、扱う回数も多くなった。4月16日にソウルで行なわれた韓国対日本の親善試合の写真が、一般紙の1面で大きく取り上げられたのは、その代表的なあらわれだった。
カラー写真を1面に
ソウルで行なわれた韓国代表対日本代表の親善試合のニュースが、一般紙の1面扱いになった。
ぼくの見たのは大阪本社発行の朝日と読売、4月17日付け朝刊である。どちらもカラー写真を大きく扱っていた。
ふつうの新聞では、前日のニュースのなかで重要なものを1面扱いにする。そのなかでも、もっとも重要なものをトップにする。
この日の1面トップは、ジュネーブで開かれた国連人権委員会が、北朝鮮非難の決議を賛成多数で採択したというニュースだった。拉致問題を抱えている日本にとっては重要なニュースである。アジアの国際関係の将来にとっても、大きな影響がある。イラク戦争は一段落して大きな動きはなかったから、国連人権委の決議の1面トップは妥当だろう。
サッカーの韓日戦は1面の中央に写真を載せていた。1面中央は、全紙面のなかで、もっとも注目される場所だといわれている。そこにカラーで写真を大きく載せたのだからこれ以上派手な扱いはない。朝日は決勝点をあげた永井が大きく手を広げて喜びの声をあげている場面、読売はジーコ監督が永井を祝福している図柄だった。
地元の神戸新聞も講読しているがこちらは記事だけで1面の下のほうの扱いだった。写真は県内のチューリップ畑で、あまり迫力がない。サッカーを1面扱いするなら、記事よりも写真を主にすべきだろう。
なお、ぼくが見たのは朝日と読売は最終版の一つ前の13版、神戸は最終版である。
単なる親善試合でも
韓日サッカーの写真を1面で大扱いしたのは結構だと思ってはいるのだが、しかし奇異な感じも受けた。11年前まで東京の新聞社に37年間勤めていたが、その間にサッカーがこんなにハデな扱いを受けたことは記憶にないからである。
4月16日夜にソウルのワールドカップ・スタジアムで行なわれた試合は勝てばオリンピックやワールドカップに出られるという試合ではない単なる親善試合である。それを1面に大扱いするのは、ぼくたちの世代の新聞記者からみると常識的ではない。しかし現在の新聞では、ぼくの感覚は明らかに古いようである。
好試合で0−0のまま引き分けになりそうだった。それが後半の2分間のロスタイムにはいって結着がついた。
決勝点をあげたのは、24歳の永井雄一郎だった。韓国に出発する前日に、故障者の穴埋めに招集された若手である。今回は欧州でプレーしている選手は呼ばなかったが、欧州組が入っていればチャンスはなかっただろう。
これまで日本代表の試合でベンチに入ったことはなかった。この日はじめてベンチに入り、76分に中山に代わってはじめてフィールドに出た。つまり、わずか15分の出番で貴重なゴールをあげたわけである。
そういう劇的な要素があったにしても、親善試合を1面扱いするのは10年前まではなかったと思う。
「これはワールドカップのおかげだ。2002年が日本の新聞を変えたんだ」と、ぼくは思った。
サッカーに目覚める
どのニュースを1面に載せるか紙面のどのあたりに扱うか、見出しの大きさをどうするかなどは、原則として編集局のなかの、整理部あるいは編成部と呼ばれているところで判断する。
決めるのは朝刊であれば発行の日付けの前の晩の、デスクと呼ばれている責任者である、編集局全体を統括している責任者、つまり局デスクが判断することもある。
韓日サッカーの写真をカラーで1面に大きく扱おうと決めたのは、4月16日の夜に当番だったデスクに違いない。他のニュースを処理しながら、ちらちらとテレビを見ている。
永井が劇的な決勝ゴールをあげるその瞬間に「1面だ!」と、デスクの心が叫ぶわけである。こうして朝日でも、読売でも、カラー写真が1面中央を飾ることになった。
新聞社のデスクがニュースの重要性を判断するとき、その基準は必ずしも、政治や経済や生活への影響の大きさではない。こういうことはもちろん重要だが、読者の関心が高いかどうかも、非常に大きな要素である。
16日夜の整理部のデスクが「1面だ!」と叫んだとき、多くの読者が家庭でそれぞれテレビを見ていて永井のゴールに興奮していることを想像したに違いない。2002年のワールドカップが、大衆にサッカーの面白さを伝えたことを心の奥で意識していたに違いない。
そして、おそらく、デスク自身が前年のワールドカップによって、サッカーの面白さに目覚めていたに違いない。
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