ジーコ監督の日本代表が3月下旬にウルグアイと親善試合をした。結果は2−2の引き分け。欧州に出ているスターたちを呼び戻しての豪華メンバーが見所だった。日本の試合ぶりは、なかなかよかったと思う。特に中盤の黄金カルテットは期待以上だった。
黄金のカルテット
「すばらしい」と、ぼくはおおいに感心した。ウルグアイと対戦した日本代表の戦いぶりである。
ジーコ日本代表の第3戦が3月28日に東京の国立競技場で行なわれた。相手は南米の強豪、ウルグアイである。川口能活、稲本潤一、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、鈴木隆行、高原直泰。
日本代表は、欧州に出掛けているスターたちを呼び戻した豪華なラインアップを組んだ。特に中盤は欧州の第一線で活躍している4人を並べた黄金のカルテットである。
4人は、それぞれにすばらしかった。ボールを扱うテクニックもすばらしい。まわりをみて状況を判断するインテリジェンスもすばらしい。ただし、これはあらかじめ分かっていたことである。1998年のフランス・ワールドカップから2002年の日韓大会までの間に、日本の中盤プレーヤーは、ぐんぐん頭角を現した。その技術と戦術能力が急速に消え去るはずはない。
感心したのは、別のことである。この4人は、欧州ではイタリア、オランダ、イングランドと、それぞれ分かれてプレーしていながら、短期間、日本に帰って顔を合わせただけで、たちまち、見事なコンビネーションを組み立てた。そこが、すばらしい。
いまの日本代表は長い時間を掛け練り上げられたチームではない。しかし、臨時に寄せ集められても、その場その場で、個人の戦術能力を組み合せて、みごとなチームプレーを組み立てることができる。そこがすばらしい。
個性的なチームプレー
古い話で恐縮だが、1964年の東京オリンピックで金メダルをとった日本の女子バレーボールチームは「だいまつ一家」と呼ばれていた。大松博文監督が時間を掛けて鍛え上げ、まとめ上げたチームだったからである。精神的に大松監督を中心に結束していただけでなく、技術面でも、戦術面でも、大松監督の「おれについてこい」という方針で作り上げられていた。
いまのサッカー日本代表チームは違う。ジーコ一家でもなければ、トルシエ一家でもない。
もちろん、2002年のチームを率いたトルシエ監督から、いろいろなことを学んだだろう。いまのジーコ監督からも新しいことを吸収しつつあるだろう。
しかし、それはヒデや俊輔の、一人ひとりの個性をはぐくむのに役立っているのであって監督によってチームプレーが練り上げられているわけではない。システムや戦法については、試合ごとに監督の指示がある。それを理解し、フィールド上で実現するのは、それぞれのプレーヤーである。監督は、それぞれのプレーヤーの資質と能力を生かして、システムや戦法を考える。それを臨機応変に具体化するのは、プレーヤー自身の個性的な能力である。
プレーヤーの個性的な能力が先にあるのであって、監督のチーム作りが先にあるのではない。日本の黄金のカルテットが、それぞれ個性的な能力をもち、それを監督の方針を生かしながら実現する能力を持っていることに、ぼくは感心した。
GK川口は正解か?
中村俊輔は、2002年ワールドカップのときトルシエ監督によって直前に日本代表からはずされた。中田ヒデは2002年のチームの中心だった。ジーコ監督のもとでは、二人はいっしょに起用されている。俊輔は見違えるばかりに意欲的に動き回った。ヒデはやはり、チームの中心だった。
それぞれに、なかなかよかったのだが、時としてヒデの「ひらめき」による意外性のあるパスに俊輔が反応できない場面があった。一方、俊輔からのパスはヒデを確実にとらえているケースが多かったように見えた。
これは、あるいはヒデから見れば当たり前すぎて面白みがなかったかもしれない。
というわけで、今回のウルグアイとの試合を、おおいに楽しみ、かつ評価したのだが、ヒデと俊輔の関係の強化が今後の課題ではないかとも思った。
欧州から呼び戻したプレーヤーには、ゴールキーパーの川口とストライカーの高原、鈴木もいる。
ストライカーの2人は、シュートのチャンスが非常に少なくてさびしかった。これも課題である。
ゴールキーパーの川口は、前半25分にコーナーキックからのボールをファンブルして2点目の失点の原因になった。
しかし2002年のワールドカップでは起用されず、イングランドのポーツマスでも出番に恵まれていないので、ここでチャンスを与えたのは正解だと思う。失点も貴重な経験だっただろう。 |