Jリーグのシーズン開幕。そのしょっぱなに珍事件が起きた。ヤマザキナビスコカップの試合で、大分トリニータのロドリゴが、相手をだました形で得点した。その埋合わせに大分は監督の指示で、わざと相手にゴールを与えた。つまり、大分のフェアプレー自作自演である。
ロドリゴの勘違い?
前号まで、主として中学生のサッカーについて、いろいろな考えを紹介してきたが、Jリーグも11年目のシーズンが開幕したので、とりあえず打ち切って、最近の話題に戻ることにする。
ヤマザキナビスコカップの試合で珍事件があった。3月8日に京都西京極で行なわれた京都パープルサンガ対大分トリニータである。
後半17分、1−1だった。負傷して倒れている選手に手当てさせるため、京都がボールを場外へ蹴り出してアウト・オブ・プレーにした。そのあとは、大分のスローインで再開である。大分はそのスローインを一度、味方に渡し京都のゴールキーパーに向かって蹴った。
もともとは京都の持っていたボールで、負傷者の手当てのために蹴り出されたのだから、もとへ戻すつもりだったわけである。最近では国内でも外国でも、トップレベルの試合でも底辺の草サッカーでも、よく見られる場面である。
ところが、大分の新外国人ロドリゴが、何を思ったのか、そのボールを横取りしてシュートした。敵も味方も棒立ちだから、難なく勝ち越し点となった。
負傷者手当てのために外に出したボールをお返しするのは、慣習であってルールではない。だから、ロドリゴがそのボールを奪って得点しても反則ではない。主審は大分の得点を認めた。主審の措置は正しい。
大分はフェアプレーで、ボールを京都に渡そうとしたのに、ロドリゴの勘違い? で、逆に相手をだました結果になった。
プレーに集中せよ
新聞に載っていた記事には「京都側はカンカン」「選手が抗議し、スタンドも一時は騒然」とある。
だが、京都の選手は、カンカンになって怒ったり、抗議したりできる立ち場だろうか?
スローインをすれば、インプレーである。相手が、どういうプレーをしようとも対応できる態勢でなければならない。相手のフェアプレーを頼みにして、守りをしていなかったのだから、これは油断である。自分たちが油断をしていて点を取られたのを、相手のせいにして抗議するのはおかしい。試合中はプレーに集中していなければならない。
問題は、そのあとにもある。
大分が得点したので、次は京都のキックオフで再開となる。
大分の小林伸二監督は「ロドリゴのゴールはアンフェアだった」と反省して、相手に点を入れさせるように、選手たちに指示した。大分が守りにこないので、京都はパスを回したあと、ドリブルで持ち込んでゴールした。これも競技規則違反ではない。2−2の同点になっておあいこ、仕切り直しというわけである。
「これがフェアプレーだ」という考えがあるようだ。
そうだろうか。
小林監督は、フェアプレーを貫徹しようと故意の失点を指示したのだろうとは思うが、プレーが始まれば真剣にプレーに集中するのがフェアプレーである。理由があるにせよ、一時的にでもプレーを放棄するのは「スポーツの精神」に反するのではないかと、ぼくは考えた。
トトもからんで
「それじゃあ、ロドリゴのプレーは許されるのか」と、反論が出るに違いない。
ぼくも「ロドリゴのプレーはよくなかった」とは思っている。なぜなら負傷者手当てのためにボールが蹴り出されたあと、スローインでお返しをするのは、すでに確立した慣習だからである。ただし、競技規則違反ではないので、とがめることはできない。
昔は…、ぼくがサッカーを知った半世紀以上前の話だが、グラウンドに仲間が倒れていても、たいていはほったらかしでプレーを続けた。スローインからのお返しなんぞはしなかった。
わざと蹴り出してスローインでお返しするのは、ブラジルで始まった慣習だと聞いている。1970年代にイギリスのサッカー評論家のエリック・バッティさんから聞いた話である。
ロドリゴは28歳。ブラジルでも日本でもプレーの経験があるから、この慣習を知らないはずはない。それが、なぜあんなことをしたのか? たぶん、プレーに集中しすぎて状況を忘れてしまったのだろう。故意ではなかっただろうと、ぼくは思う。
今回の珍事件は、トトがらみだったので新聞の社会面に載った。新しい「トトゴール」では、得点も予想することになっているからである。
小林監督は「サッカーくじのことは、まったく意識していない。意識していたら問題」と話している。
それはその通り。余計なことは意識しないでプレーに集中したほうがいい。
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