高校選手権の岡山県大会決勝で起きた「幻のVゴール」をめぐる論議に、タイミングが遅れてはいるが加わりたい。ぼくの意見は保守的で「協会が誤審を認めて公表することはない」というものである。公然と誤審を批判するのは、ぼくたちジャーナリズムに任せておけばいい。
パフォーマンス
高校サッカー選手権大会の開会式のとき、岡山県代表の水島工チームのところに、日本サッカー協会の川淵三郎会長が歩み寄り話し掛けた。それがテレビに映っていた。サッカーマガジンの記事によると、誤審問題について陳謝したらしい。
誤審問題とは、11月10日の高校選手権岡山県予選決勝、水島工対作陽の試合で起きた「幻のVゴール」事件のことである。
延長に入って作陽がゴールを決めたのに、主審が見誤って得点を認めなかった。結局、PK戦で水島工が全国大会への出場権を得た。出来事の経過は、サッカーマガジンの1月29日号の記事が要領よくまとめている。
日本サッカー協会は、4日後にこの問題を理事会で取り上げ、審判委員会がVTRを見て検討した。その結果、誤審であることを認めて公表した。
いろいろな論評の多くは、協会がいさぎよく誤審を認めたことを評価しているようである。しかし、ぼくの考えは違う。「協会は審判の判定について語るな」というのが、ぼくの超保守的意見である。
競技規則(ルール)によれば、主審のフィールド上での裁定が最終である。そうであれば、協会があとから付け加えて、コメントすることはない。男は黙ってビールでも飲んでいればいい。
協会の会長が、テレビカメラの前で水島工のチームのところに行って話かけるなんて、わざとらしくて苦々しい。かっこ付けたパフォーマンスではないか。
内部での検討は必要
ただし、審判技術上の検討は必要である。判定は適切であったかどうか、審判員の起用は適当であったかどうかなどについて、振り返ってみなければならない。これは将来のための内部的な検討であって、一般に公表することはない。その後の措置も内部だけで行なえばいい。
内部で検討したあと協会がとり得る措置は、問題になるような判定をした審判員を、当分の間、あるいは永久に起用しないことである。それも公表することはない。黙って措置すればいい。
こういうやり方が、世界のサッカーの古き、よき慣習だったと、ぼくは信じている。そういうわけで、審判員の判定について協会が記者会見して見解を公表したのは、よくないと、ぼくは思っている。
協会は黙って堪え忍ぶべきだが、新聞などのマスメディアが審判を批判するのはかまわない。誤審であれば「誤審だ」と正しく報道すればいい。協会が黙っていても、マスメディアが正しく報道すれば真実は明らかにできる。
しかし、これにも節度が必要である。誤審のほとんどは、人間がときとして起こすエラーであって、許すべからざる社会的不正義ではない。このことを、報道する側が心得ていなければならない。
また、批判するほうは、ルールや審判の慣習について、ちゃんと知識を持っていなければならない。
今回の問題については、少なくとも新聞や雑誌など印刷メディアは、節度ある報道をしていたように思う。
ネットメディアでは
やっかいなのは、メディアが急速に発達し、大衆化して、いろいろな意見や非難が飛びかうことである。あちらこちらから追及されると協会も「黙ってビール」と堪え忍んでばかりはいられない。
というわけで、ぼくの超保守的原理主義的考えは現在では通用しないのかもしれない。
今回の誤審問題は、インターネット上のメディアでも、もちろん、さかんに議論された。地元岡山からは、いろいろな発信があった。
それによると、地元では署名運動があったり、県議会で取り上げられたりしたらしい。そこまで騒ぎ立てられると「協会は黙って…」というのは難しい。
水島工の主力選手の1人は、自宅でビデオを見て、相手の作陽のゴールを確認してショックを受けた。そこで主力の部員を集めてミーティングを開き「出場を辞退すべきではないか」と問い掛けた。「辞退」が5人で「出場」が6人だったという。出場が多数だったので、全国大会に行くことになったが、本人は、1人だけ辞退して参加しなかった。
この行動についての論評もさまざまで、1人で辞退したのを「裏切りだ」と非難するのもあったし「チーム全体が辞退すべきだ」という意見もあった。
いろいろな考えがあるのは当然だろう。辞退した者も、出場した者も、また作陽の選手たちも、学んだことが多かったと思う。それでいい。
ところで、日本サッカー協会は、やっぱり黙って見守るべきだったんじゃないかと、ぼくは思っている。 |