新聞などマス・メディアのワールドカップ報道は、これまでにない大がかりなものだった。一つのスポーツの大会を、毎日10ページ以上も割いて報道した例は、これまでにはない。一部に行き過ぎがあったにしても、これはサッカーにとって貴重な財産だったのではないか。
新聞へ与えた影響
「ワールドカップの火は、すっかり消えてしまったな」と友人がいう。新聞などマス・メディアのサッカーの扱いが小さくなったことである。
ぼくの考えでは、あの2002年6月が異常だったので、元に戻っただけのことである。
しかし、ワールドカップ開催が日本のマス・メディアに影響を残さなかったのかといえば、そんなことはない。新聞の紙面をサッカーの記事が占拠している量は、元に戻ったかもしれないが、記事の質はあがっていると、ぼくは信じている。その根拠は三つある。
第一は、新聞社内の多くの人たちがサッカーを知ったことである。サッカー嫌いで知られている大新聞の最高首脳も、サッカーが世界でもっとも大衆的で人気のあるスポーツであることを認識しただろう。新聞を作る人たちがサッカーを知っていれば、記事の扱いもよくなってくるはずである。
第二は、運動部(スポーツ部)デスクや記者に与えた影響である。この人たちは、もともとサッカーを知っていただろうが、地元で開催された大会によってワールドカップのすごさをハダで感じたはずである。それが今後のサッカーの記事の扱いにいい影響を与えるだろうと思う。
第三に、サッカーの専門記者たちは、大きな勉強をしたことだ。各社のサッカー記者が、大会前から欧州や韓国に常駐して海外のサッカーを学び取材する機会を得た。この人たちが、今後の日本のサッカー・ジャーナリズムを支えてくれるに違いない。
マスコミへの批判
ところが、サッカー協会の関係者は、必ずしもメディアにいい感情を持っていないようだ。ワールドカップを大きく報道してくれたことに感謝の気持ちを持つよりも、その内容が見当違いであることを批判する人が少なくない。
ワールドカップのあとで、いろいろな機会にサッカー協会やワールドカップ組織委員会(JAWOC)の幹部の人たちが、メディアを批判するのを聞かされた。
「近ごろのサッカー記者は世界のスポーツを知らない」と放言した人もいた。
「ボールを一度も蹴ったことのない人がテレビで解説している」と嘆いた人もいた。
こういう批判は、ぼくに言わせれば見当違いである。
新聞社のサッカー担当記者は、今回のワールドカップの2年も3年も前から海外に派遣されて世界のサッカーの経験を豊富に積んだ。これは貴重な財産である。そういう財産を今後の執筆活動を通じて、日本のサッカーのために生かしてもらうようにすべきである。悪口を言って足を引っ張るなんてとんでもない。
テレビの解説をした人で、サッカーの選手経験のない人たちもいる。しかし、だからといって話の内容が悪かったとはいえない。名選手だった人がマイクの前で無知をさらけ出して熱心な視聴者のひんしゅくを買った例の方がはるかに多い。
サッカー界の外の人に、サッカーのために働いてもらえたのはよかったと、ぼくは考えている。
行き過ぎもあったが
ワールドカップの現場で働いた人たちからのマスコミ批判も、いくつか耳にした。
ワールドカップについて、ほとんど勉強してなくて忙しいさなかにABCから質問してくる地方部記者。
さまざまな取材規制や報道サービスの不備に居丈高で文句を言ってくる社会部記者。
テレビ映像のためなら何でも許されるという態度で踏み込んでくるカメラマン。
不眠不休で大会運営にたずさわっている役員やボランティアの人たちが頭にきただろうと想像できる。
しかし、これはワールドカップでなくても、あちこちで起きていることである。
ワールドカップやオリンピックのときには、ふだんはスポーツの取材をしていない人たちが臨時に動員されて取材にくる。そういう人たちのなかに、マナーの悪い人種がいるのは否定できない。
不愉快な思いをした現場の方がたには、ワールドカップをジャーナリストとして取材した一人として、お詫び申し上げる。
でも…と、ぼくは思う。
そういう、いろいろな人たちがワールドカップに触れ、サッカーを知ったことは、よかったんじゃないか。
そういう人たちの手によって伝えられた情報もサッカー界の今後のために役に立っているのではないか。
日本のサッカーの幹部たちは、今後もメディアがサッカーに協力してくれるように、広い心を持ってもらいたい。
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