日韓共催のワールドカップは、試合内容の点でも充実していた。ところが一部には「競技のレベルは低かった」という見方がある。フランスとアルゼンチンが、はやばやと消えたために、そういう印象を与えたのだろう。そういう意見がでる背景については、考えてみる必要がある。
いま大会を予想したら
サッカーマガジンの愛読者仲間とともに、東京北千住の読売・日本テレビ文化センターで毎月、第2、第4土曜日の夕方に「ビバ!サッカー講座」を開いている。
サッカーについて語り合い、文章で表現する練習をしようという講座である。この仲間が書いたものを持ち寄ってワールドカップ開催前に「2002年のサポーターズ・アイ」という題の本を出した。いま、大会総括の第2弾の出版準備が進行中である。
その第1弾出版記念会兼第2弾出版気勢会? のパーティーを7月下旬に開いた。
パーティーのときには、講座の仲間が◎をつけているサッカー関係者を招いて講演していただくのが恒例である。今回はサッカーマガジン誌上の評論でも評価の高い後藤健生さんに来ていただいた。
講師は、ぼくに依頼されてやむなく、忙しい時間を割かなければならないのだから、お気の毒だが、浮き世の義理とお許し願っている。
ともあれ、後藤さんの講演は、短いものではあったけれども非常におもしろかった。そのなかに、こういう話があった。
「大会が終わったいま、大会の予想をしろといわれたら、やっぱりフランスとアルゼンチンを優勝候補にします。早い段階で姿を消したけれども、いいサッカーをしているチームでした」
ぼくも、まったく同意見である。フランスに◎、アルゼンチンに○、ブラジルに▲という予想を、もう一度つけるだろう。
欧州の人たちの偏見
この◎のフランスと○のアルゼンチンを、第2ラウンドの決勝トーナメントでは見ることができなかったので「試合内容はつまらなかった」とか「今回の競技レベルは低い」という人たちがいる。そりゃ、ヨーロッパや南米の人たちから見れば、フランスとアルゼンチンがいなくなったら、さびしいには違いない。
フランスもアルゼンチンも、一人ひとりにテクニックがあり、インテリジェンスがあり、ボールをすばやくつないで攻撃的なサッカーをする。こういうサッカーをもっと見たかったという気持ちは、ぼくも持っている。
しかし、それに代わって韓国やトルコの躍進を見ることができたし、決勝戦はブラジル対ドイツという南米対欧州の好対決となった。後藤さんは「ワールドカップでは久しぶりにいい決勝戦だった」と話した。この意見にも、まったく賛成である。
というわけで、2002年の競技内容が低調だったとか、レベルが低かったという意見には、まったく賛成できない。こういう見方が出てくるのは、欧州の人たちの偏見のせいである。
アジア勢の日本と韓国、アフリカ勢のセネガルなどが、かなりの水準に達して、それを維持していることを示したのも収穫だった。 世界のトップに立つのは現状では、まだ難しいにしても、ワールドカップの充実を示すものだった。
決勝戦だけでなく、大会全体の試合内容を見ても「いい大会だった」と思う。
放映権料が悪の根源?
とはいえ、欧州と南米のチームの試合ぶりに期待はずれの面があったのも事実である。その原因は、いろいろ語り尽くされてはいるが、一つだけ大きな背景を取り上げておこう。それは「テレビ放映権料が悪の根源だ」ということだ。
欧州のクラブに属している選手たちは過密なスケジュールのために疲れはてていた。そして十分に回復しないうちに、また代表チームとして十分な準備をしないうちに大会を迎えなければならなかった。
欧州のクラブのトップチームの試合数は多すぎる。なぜ試合数が多くなったかといえば、テレビ放映権収入を多くするために大会の方式を変えたからである。
というわけで、ここでも高騰したテレビ放映権料がスポーツをスポイルしている例を見ることができる。
南米の選手たちも主力は欧州のクラブでプレーしている。したがって欧州の選手たちと同じようにスポイルされている。それだけでなく、シーズンを通して、ワールドカップ予選やその他の国際試合のために母国に戻るのも、なかなか難しい。
しかし、テレビ放映権料のバブルはもうはじけて、欧州ではテレビ会社の破産があいついでいる。テレビマネーに過大な期待を抱くことは、もうできない。
したがって、国際サッカー連盟(FIFA)と欧州サッカー連盟(UEFA)が、頭を冷やして過密日程解消の手を打つべきときである。そうすれば、選手とワールドカップの価値の両方を守ることができるはずである。
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