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サッカーマガジン 2002年8月7日号
ビバ!サッカー

ワールドカップの総括A
日本代表の試合を振り返る

 日本代表チームはワールドカップで目標のベスト16に入った。予想以上、期待どおりの成果だった。結果だけでなく、試合ぶりも期待を裏切らないものだったと思う。しかし、日本のサッカーのレベルをさらに向上させるためには、内容を冷静に振り返ってみる必要もある。

鈴木が殊勲賞
 ワールドカップ第1ラウンド(グループリーグ)で日本代表チームは2勝1引き分け、H組1位で第2ラウンド(決勝トーナメント)に進出した。この成績は、ぼくの大会前の予想とほぼ同じである。
 第1戦のベルギーが強敵だといわれていたが、ぼくは、この試合は引き分けだろうと予想していた。結果はその通りになった。ただし、あんなに積極的な攻め合いになるとは考えていなかった。6月4日に埼玉で行なわれた試合である。2−2のスコアは予想外である。
 ベルギーが57分に先取点を挙げ、すぐ2分後に日本が同点に追いつく。縦パスに合わせてゴール前へ走り抜けた鈴木が、辛うじて足先で押し込んだシーンは、その後、なんどもなんどもテレビで繰り返し放映されたから、日本中のファンの目の底に焼き付いているだろう。その後の日本代表チームの道を切り開いたという点で、鈴木は殊勲賞である。
 67分に稲本が勝ち越し点をあげたこのときの「ゴールしたのはおれだ」と、自分の顔を指差しながら歓喜を爆発させたパフォーマンスも、すっかりおなじみになった。
 しかし、その後、75分にベルギーが2点目をあげて引き分けになった。
 終了5分前に稲本が3点目のゴールをあげたのに、その前に反則があったとして認められなかった。これは記者席で見ていたぼくには納得がいかなかった。審判問題は、また別の機会に取り上げたいが、このゴールを認めて、日本が3−2で勝っていても、おかしくない試合ぶりだったと思う。

技能稲本、敢闘宮本
 日本の第2戦は6月9日、横浜の対ロシア戦である。これは勝たなければならない試合だと予想していたら、その通りに1−0で第2ラウンドの決勝トーナメント進出を決める歴史的勝利となった。
 決勝点は後半立ち上がりの5分、稲本だった。第1戦に続くゴールで稲本はたちまち全国的なヒーローになった。大事なところで落ち着いてワザを発揮して点を取った。そしてサッカーにそれほど関心のなかった人びとの目をワールドカップに向けさせた。そういう、いろいろな面を考慮して稲本は技能賞である。
 この試合で日本の守りの中心は宮本だった。第1戦は森岡だったのだが、後半なかばすぎにケガで宮本に代わり、その後は宮本が、このポジションを守った。大会前に鼻の骨を痛めて、黒いガードマスクをして頑張った。これがまた、全国のテレビ視聴者を引き付けた。というわけで宮本は敢闘賞である。
 ロシアは守りのコンビネーションがよく、日本は前半優勢に試合を進めながら攻めきれなかった。後半ロシアが攻めに出ようとしていたところで日本がチャンスをつかみ、その後はロシアが反撃に出ようとするのを、日本がしっかり守って、はねかえしながら、逆襲を試みてロシアのゴールをおびやかした。
 1点差だったが日本の会心の勝利だった。
 満員の横浜スタジアムの大屋根に「ニッポン! ニッポン!」のコールがこだまして、日本のファンにとって気分のいい試合だった。

優秀選手はヒデ
 第3戦は6月14日、大阪長居でチュニジアとの試合である。日本はすでに勝ち点4をあげ、勝てばH組1位、引き分けでもベスト16に進出できるという立ち場だった。
 日本はボールをつないで一方的に攻めたが、チュニジアが下がりっきりになって守るのをなかなか破れない。ときにチュニジアが逆襲に出るのをおそれて、前半は日本も守備的になっていた。
 後半に森島と市川を投入したトルシエ監督の交代策が的中して2点をあげて勝ったが、好ゲームとはいえなかった。後半開始早々の1点目は森島、75分の2点目は市川からの送球を中田ヒデである。
 中田ビデは大会を通じて、ずっとチームのリーダーだった。第1戦でリードされたとき「下を向くな」と仲間を激励し先頭に立ってチームを引っ張った。ヨーロッパで経験を積み、この4年間で大きく成長したように思う。優秀選手はヒデである。
 第2ラウンド、決勝トーナメントの1回戦は、宮城でトルコに0−1で敗れた。敗因はいろいろあげられるだろうが、日本のプレーヤーは、見た目にも明らかに疲れ果てていた。そのためのパスミスも目立った。
 失点は前半はじまって間もなくの12分。コーナーキックからヘディングで決められた。
 このときのゴールキーパー楢崎の守りは、どうだったのだろうか? 専門家の厳正な意見を聞きたいと思う。楢崎はロシア戦では好セーブを見せているが、日本代表チームの弱点の一つは、ゴールキーパーだったのではないかとも感じている。


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