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サッカーマガジン 2002年7月31日号
ビバ!サッカー

ワールドカップの総括@
トルシエ監督をどう評価?

 日韓共催のワールドカップは、終わってみれば夢のようである。大成功だったと思う。しかし、いろいろな問題もあった。今後のためにーつひとつを冷静に検討してみたい。まず、日本代表チームのトルシエ監督の業績を、どのように評価すべきかを考えてみよう。

目標達成、合格点!
 監督やコーチの業績は。結果によって評価される。フィリップ・トルシエの日本代表チーム監督としての業績も、結果によって評価しなくてはならない。
 4年前にトルシエ監督が日本サッカー協会と契約したとき、期待されていた成績は「第2ラウンド(決勝トーナメント)進出」だった。2002年のワールドカップで、日本代表チームは、その目標を達成した。したがってトルシエ監督への成績評価は十分に及第点である。「優」をつけていい。
 4年前の時点で、第2ラウンドの決勝トーナメント進出は難しい目標だと思われた。ワールドカップ初出場のフランス大会で3戦全敗、国際経験豊富で2002年に役立ちそうな選手はほとんどいない。そういう状況で、「この監督ならベスト16を達成できる」という人物が日本にいただろうか? 外国にいたとしても日本代表の監督に迎える可能性があっただろうか?
 トルシエはアフリカでは実績はあったが、世界的にはトップクラスの評価ではなかった。そのトルシエと契約したのは、日本サッカー協会の一つの賭けだった。
 結果として、ベスト16に進出したのだから、トルシエは成功したと言えるし、日本サッカー協会の4年前の賭けは正しかったと言っていい。
 4年前に代案もなくトルシエに反対した人、2年前にトルシエ解任を主張した人は間違っていた。
 トルシエ監督が、与えられた課題を立派に成し遂げたことは評価しなければならない。

用兵批判も当然
 とはいえ、トルシエ監督に100点満点をつける気持ちになれないのも事実である。
 トルシエ監督への不満が残る一つの原因は、第2ラウンドの決勝トーナメント1回戦でトルコに敗れたときの用兵が理解しにくかったことである。
 相手のトルコは、その後の試合で欧州の一流チームに負けないレベルであることを証明し、韓国も破って3位になった。その結果を見た現在では、トルコに1点差で敗れたのは善戦だったと思うが、あの時点ではアレックスをトップに起用したメンバーの組み替えが一つの敗因のように思えた。もちろん、チームの内部事情は外部には分からない場合もある。その後、柳沢が調子を崩していたという情報も伝えられている。したがって「トルシエの奇策」と断定することはできないが、少なくとも表面的には、勝ち進んできたメンバーを組み替えたのは常識的ではなかった。これはトルシエの功績に水を差す結果になった。
 こういう反応が生まれる、もう一つの原因は、お隣の韓国でヒディンク監督がベスト4という、トルシエ以上の成績をあげたからだろう。だがヒディンクの好成績はトルシエとは関係のないことである。比較してトルシエの業績を感情的におとしめるのは適当でない。
  いずれにせよ、トルシエ用兵への批判はあって当然である。しかし、それをベスト16進出の目標を達成した功績から引き算するのは、公正ではない。

個性主張を奨励
 成績評価とは別に、トルシエの仕事ぶりを振り返って検討する必要もあるだろう。
 トルシエに二つの顔があった。
 第一の顔は、日本の高校チームの監督に似ていた。選手を育てて自分がいいと信じている型のチームを作ろうとしていた。そして、たとえば「フラット3」のような自分の好みのチームの戦法を押しつけた。
 ただし、高校チームの指導者と違って、トルシエは日本全国から候補選手を自由に選んで、自由に切り捨てることができた。幸いなことに、日本の若い世代の層が、そういうことが可能になるほど厚くなっており、個人の技術と戦術能力のレベルが上がっていた。
 トルシエの第二の顔は、典型的なラテン系プロフェッショナルの顔である。選手一人ひとりを突き放し、自己主張を奨励し、選手との衝突を恐れなかった。選手をトルシエ教の信者にしたり、トルシエ一家の家族にするようなことはしなかった。
 この第二の顔は、おそらく多くの日本人には気にいってもらえなかったのではないだろうか。温かい指導と人間関係によるチームづくりが、多くの日本人の好みだからである。
 しかし、この第二の顔によって、トルシエは、日本のサッカーに新しい風を吹き込んだのではないか。これまでの日本人に向いたやり方ではなかったが、これからの日本のサッカーのために必要なことであったと思う。


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