日韓共催のワールドカップは、日程の3分の1を終わったところですでに「史上最高のすばらしい大会」になりつつある。その要因のーつは開催地元の韓国と日本が、ヨーロッパのチームを相手に「歴史的勝利」をあげたことだろう。歴史的とはどういう意味だろうか。
マスコミの表現
日本がロシアに勝った6月9日の夜、横浜国際スタジアムを出たら、もう地元の新聞とスポーツ新聞の号外が配られていた。見出しに「歴史的勝利」とある。ぼく自身、スタジアムのなかでは勝利に酔いしれて、心のなかで「歴史的勝利だ」と叫んでいたのだが、マスコミが活字にしたのを見て「歴史的って、どういう意味だろうか」と改めて考えた。
ワールドカップの試合で初めて勝ったという単なる記録的な意味だけではないだろう。記録であれば、ワールドカップの成績はすべて歴史に残るので、この勝利だけを「歴史的」と大げさに取り上げることはない。
ぼくの考えでは日本がロシアに勝ったのは、日本のサッカーが「世界レベルヘの第一歩」を踏み出したという意味で歴史的である。
日本のサッカーの歴史で、これまで「歴史的勝利」といわれてきた試合が二つある。一つは1936年のオリンピックで優勝候補のスウェーデンを破った「ベルリンの奇跡」であり、もう一つは1968年のオリンピック3位決定戦で地元メキシコに勝った「銅メダル」である。しかし、この二つの勝利は。アマチュアのレベルだったオリンピックでのものだった。
したがって、欧州や南米では、それほど認められなかっただろう。一般のファンは事実そのものを、ほとんど知らなかっただろうし、専門家もアマチュアの「番狂わせ」という程度の認識だったのではないか。日本のサッカーが世界のレベルがあがってきたとは評価しなかっただろう。
プロレベルでの白星
今回は選り抜きのプロフェッショナルが国を代表して争うワールドカップの舞台で、予選を突破して参加したヨーロッパのチームを相手にしての勝利である。
この「歴史的勝利」の意味は6日4日に釜山で、韓国がポーランドに2−0で勝ったのと並べて考える必要がある。
日本も韓国もヨーロッパのチームと互角以上に堂々とたたかって勝った。その試合ぶりは、テレビの衛星中継で世界に伝えられた。ポーランドとロシアのファンだけではなく、各国の人びとが、日本と韓国の勝利が単なる番狂わせではないことを知っただろう。アジアのサッカーが、ワールドカップの「邪魔者」ではないことを、世界の人びとが認識したに違いない。
しかし、これはまだ「第一歩」である。世界の舞台に出演させてもらって「せりふ」のある役がついたといった程度である。主役になるには、まだまだ演技力不足である。
今回は、韓国と日本が勝った相手のポーランドとロシアは、かつては社会主義圏の国だった。社会主義の国はオリンピックでは、すばらしい成績を残しているが、プロの精鋭が争うワールドカップで優勝したことはない。ポーランドは1974年と1982年の大会で3位になっているが、現在のポーランドのサッカーには、あの当時の勢いはない。ロシアは旧ソ連の国だが、かつてのソ連の主力の多くはロシアではなく、いまは別の国になっているウクライナなどの出身だった。
まだ脇役の仲間だが
そういうわけでポーランドやロシアは世界のトップクラスではない。脇役でしかない。脇役を凌いだからといって、主役の仲間入りができたわけではないと心得ておいたほうがいい。
ロシアとの試合で、日本は前半はやや優勢だった。ロシアの選手に比べて、ボール扱いとパスのミスは少なかったし、あらかじめ周囲を見ていてボールが来たらすぐにプレーを選択する判断のはやさも優っていた。後半5分の稲本のゴールもみごとだった。
しかし、そのあとロシアが次つぎに攻撃的プレーヤーを投入して総攻撃をかけると、日本はサイドのプレーヤーが両側とも守備ラインに下がりきりになり、ほかの中盤プレーヤーも下がって守りに追われた。
ボールを奪っても、前線に大きく蹴って相手に取り返される。その繰り返しである。中田英でさえ、ボールがくると慌てて前へ出そうとしていた。
こういう場合に、落ち着いてパスをつなぎ、ボールをキープして攻めの時間を長くすることはできなかったのだろうか。ブラジルやイタリアなら、そうしただろうと思う。
日本の選手も、それができるだけのテクニックは持っている。足りなかったのは心理的余裕だろう。心の余裕は強力な相手とのタフな真剣勝負の経験で身につく。日本が主役クラスを望むなら、まだまだ、考えなければならないことがたくさんある。
ただし、脇役が主役を食うこともある。今回は日本にも韓国にも、そのことを期待したいと思った。
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