スタジアムの外では、これまでのような大衆のお祭騒ぎは少ない。しかしスタジアムの中では外国から来たサポーターたちが盛り上げている。アジアではじめて、日韓共催の大会が、新しい形の東洋のワールドカップを作り出しつつあるのかもしれない。
街に熱気は乏しいが
ワールドカップが開幕した日の街の表情は穏やかだった。ワールドカップ取材は連続9回目だが、今回ほど静かな開幕ははじめてだ。
開会式の行なわれる日の昼間、街の表情を見てみようと、ソウルの繁華街の明洞(ミョンドン)を歩いてみた。フランス人の観光客たちが民族衣裳の娘さんと並んで記念写真を撮っていた。
それくらいが、いつもとは違う光景だった。民族衣裳のお嬢さんは、大売り出しの「ちらし」を配っている宣伝ガールだった。
ワールドカップを最初に取材したのは1970年のメキシコ大会である。このときは、色とりどりに輝くネオンの飾り付けの横断幕が、メキシコ・シティの夜の大通りに、打ち寄せる波のように続いているのにびっくりした。人びとは自動車の窓から身体を乗り出して大きな旗を打ち振り、クラクションを、けたたましく鳴らして市内を走り回っていた。
前回のフランス大会では、前夜祭に巨大な人形がパリの市内を練り歩いて、市民たちのお祭り気分を盛り上げた。ワールドカップを楽しもうという気分がスタジアム周辺やイベント会場だけでなく、繁華街の通りにも溢れていた。それに比べるとソウルは穏やかだ。
ソウルで開会式と開幕試合を見た翌日、新潟に飛んだ。日本での開幕は新潟である。ここでも、街頭でのお祭騒ぎは見られなかった。スタジアムの周辺も静かだった。小学生を動員して祝賀のイベントが行なわれていたが、市民の間から盛り上がる熱気は感じられなかった。
東洋風な雰囲気で
町をあげての熱狂的な開幕にならなかった理由は、いくつもあるだろう。テロやフーリガンを恐れた厳重な規制もその一つかもしれない。スポンサーの権利を守ろうと名称やロゴの使用を制限しているFIFAの商業主義が市民の盛り上がりを妨げている面もある。 しかし、もともと穏やかな東洋の伝統が日韓両国で欧州や南米とは違う風を吹かせているのではないだろうか。
それなら、それでいい。南米には南米の風が吹き、欧州には欧州の風が吹く。韓国と日本では東洋の風に合わせてワールドカップの帆を操ればいい。窓を開けて外からの風を入れることも必要だが、船が引っくり返るほどの大風を招くことはない。
風は静かに吹き込んでいる。
新潟スタジアムの外で、若いお母さんが5歳くらいの女の子の手を引いて歩いていた。この日の試合はアイルランド対カメルーンだった。女の子は、ほっぺたに国旗のペインティングをしていた。そこにアイルランドのサポーターが通りかかって女の子に声をかけた。「おや、カメルーンの旗だね」。お母さんが笑って答えた。「アイム・ソーリー」。
新潟は雪国で、人びとは誠実だが口べただといわれている。とくに女性は控えめである。その新潟で若いお母さんは、ちょっぴり国際的だった。ワールドカップの風が、穏やかに新潟の文化を変えつつある。
韓国でも、おそらく、ワールドカップの風が、静かに人びとの文化を変えつつあるのではないだろうか。
スタジアムの中では
ソウル・スタジアムの開会式で行なわれたショウのテーマは「フローム・ザ・イースト」(東から)だった。ワールドカップを機会に、東洋の文化を世界に発信しようという気持ちがこめられていた。民族衣裳や太鼓の響きが、伝統的なゆっくりしたテンポから近代的な力強く急速なテンポに変わっていって、美しく楽しかった。
新潟空港の正面には「新潟から世界に向けてキックオフ」という飾り付けがあった。これは県民から募集した標語の当選作である。ここにもワールドカップを機会に開催地から発信しようという双方向のコミュニケーションのねらいがある。
新潟の開幕ショウも太鼓のリズムだった。
街は穏やかだったが、これも一つのワールドカップの在り方だろう。
スタジアムの中は、過去のワールドカップと同じように活気にあふれている。その雰囲気を作っているのは、外国から来たサポーターたちである。ソウルではフランスのサポーターの席からFIFAのブラッター会長のスピーチに口笛とブーイングがやまなかった。ソウルでも新潟でも、フランスやアイルランドのサポーターたちが、本国でやるのと同じような応援を繰り広げた。
フィールドの上も、これまでのワールドカップどおりである。開幕試合では、前回優勝のフランスが初出場のセネガルに敗れた。イングランドはスウェーデンと引き分けた。優勝候補が星を落としたり、第1戦で引き分けたりするのは、これまでのワールドカップと同じである。
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