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サッカーマガジン 2002年6月5日号
ビバ!サッカー

ワールドカップ出版に思う!
アフター2002を考えよう

 いよいよワールドカップだ。おそらく日本で、このワールドカップ開催にもっとも「長い思い」をもっているのは、ほかならぬ、このビバ!サッカーの筆者だろう。なぜなら、日本で最初にワールドカップの本を出し、そのなかで日本開催を主張した33年前の思い出があるからだ。

「世界のプレー」
 日韓共催の2002年ワールドカップには三つの意味がある。
 第一は「アジアではじめて」である。これはワールドカップがヨーロッパ大陸とアメリカ大陸を離れて開かれる最初の大会である。ワールドカップが「本当の世界の大会」になるための大きなステップだと思う。
 第二は2国共同開催である。1国開催が本来の姿で共催は変則だが、今回については、日本と韓国の共同だというところに歴史的、政治的意味がある。ただし、これを前向きに生かせるかどうかは、今後の日韓両国の大衆の努力によるだろう。
 第三は商業主義による運営のピークの大会である。テレビの登場によって大きくふくらんだスポーツの商業主義は、今回がバブルの絶頂だろう。あとはバブルがはじけたあと、どうしていくかを考える段階になると思う。
 というわけで、6月は、この三つのテーマについて考えながら、日本と韓国をまたにかけて、取材と研究をしたいと考えている。
 ぼくがワールドカップを現地で取材したのは、1970年のメキシコ大会がはじめてである。この大会のあと長沼健さんなどに協力していただいて「サッカー、世界のプレー」という本を出した。長沼さんは現在は日本サッカー協会の名誉会長である。この本は、日本で「最初の本格的なワールドカップの本」だったと自負している。
 32年後、アジアで初の開催になって、ワールドカップは「世界のプレー」へ大きく飛躍しようとしている。

ビバ本、第1号
 ところで、前にもこのページで紹介したことのある「ビバ!サッカーの本」ができあがった。
 これは東京の読売・日本テレビ文化センター北千住で月に2回開催している「ビバ!サッカー講座」の仲間たちが、自分で書いて、編集して、作り上げた本である。「ワールドカップの前に、ワールドカップへの思いを本にしよう」と思い立って作った。思いが「熱い」だけに内容は「厚い」。背番号12の青のユニフォームを執筆者の数だけあしらった、しゃれたカバーがついている。
 題名は「2002年のサポーターズ・アイ〜ハッピー・プレゼント・ワールドカップ」。後半部分は英文である。
 仲間うちの出版である。しかし、ただの自費出版とはちょっと違う。コンピューターとインターネットによるデジタル・パブリッシング・サービス(DPS)を利用したものである。しかし、ちゃんと印刷、製本された本である。
 最初に印刷した分は仲間うちで配ったが、インターネットを通した注文を受けて、つぎつぎに増刷することができるシステムになっている。これは、このようなDPS出版による「最初の本格的なワールドカップの本」ではないかと思っている。
頒価は1冊1400円(税抜き、送料が別に399円)
アドレスは 「万能書店」

大衆の視点から
 32年前に「最初の本格的なワールドカップの本」として出した「サッカー、世界のプレー」が、日韓共催の2002年ワールドカップになって実ったように、インターネット利用によって出したビバ!サッカー講座の「サポーターズ・アイ」が将来に実ってほしいと願っている。
 そこで、ワールドカップが終わったら、さらにもう1冊出したいと計画中である。だから、仲間たちは、今回の出版を「ビバ本、第1号、パイロット版」と称している。まだまだ続くぞ、というわけである。
 いま、ワールドカップの本は書店にあふれている。
 ビバ本は、ちょっと違うものを狙っている。これは大衆が自ら作る本である。いちだん高い貴賓席や記者席から見るのではなく、一般席から見たサッカーの本である。
 しかし志は高い。アフター2002に実る内容をと願っている。ビバ本第2号では2002年大会の報告を、第3号は日本と世界のサッカーの未来を考える特集をと夢見ている。ただし資金と労力と根気が続くかどうかは分からない。
◇追悼、宮本征勝さん
 宮本征勝さんが5月7日に亡くなったのを知った。メキシコ・オリンピックの銅メダリストである。鹿島アントラーズなどの監督も務めた。個人的にもいろいろな思い出がある。このページを使って追悼文を書くべきところだが、ワールドカップが始まるので他の機会に譲ることにし、ここに、哀悼の気持ちだけを記しておく。


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