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サッカーマガジン 2002年5月15日号
ビバ!サッカー

ワールドカップ史への異考K
フランスの時代が来るのか?

 ワールドカップの歴史を、少し変わった角度から取り上げて連載してきた。最後に1990年代から21世紀にかけての現在が、ワールドカップ史上では、どんな時代であるのかを考えたい。ひょっとしたら、いまはフランスの時代なのかな? とも思っている。

互角の欧州と南米
 「優勝はどこですか」と2002年日韓ワールドカップの予想を聞かれたら「フランスです」と答えることにしている。別に格別の根拠があるわけではない。ただ「フランスが連続優勝したら、ワールドカップの歴史を書きやすいな」というだけの、ご都合主義である。
 1990年代から2002年の日韓大会へかけてが、ワールドカップ史のうえで「どんな時代だったか」を考えあぐねている。それが、この予想に影響している。
 1990年代は、運営面では「商業主義」が絶頂期に達した時代だった。広告エージェントがさまざまな商業化権を売りまくり、テレビ放映権料の高騰とあいまって大会の運営を様変わりさせた。
 また米国での開催や日本と韓国の共催決定などワールドカップのグローバル化が決定的になった時代ということもできる。
 競技面ではどうか。
 一つ前の1980年代は、ヨーロッパ勢のイタリア、西ドイツ、フランスと南米勢のアルゼンチン、ブラジルが互角に争った時代だった。
 1990年代になっても、この勢力地図は、あまり変わっていないように思う。94年大会の決勝はブラジルとイタリアでPK戦だった。98年大会の優勝は地元フランスだった。
 アフリカ勢の台頭は、新しい流れだとは思うが、まだ世界のトップを争うところまでにはいっていない。
 現在の焦点は、ヨーロッパと南米のトップクラスの互角の争いのなかから、どの国が抜け出すかである。

プレスの時代に
 ヨーロッパと南米のトップクラスの争いのなかから、フランスが抜け出して連続優勝したら「いよいよ、フランスの時代だ」ということができると、ぼくは思っている。
 フランスが強い、いいチームを作っていることは疑いない。前回のワールドカップとヨーロッパ選手権での優勝が、それを証明している。
 ただ、98年の優勝には地元開催の利があった。2000年のヨーロッパ選手権優勝のときは、もちろん南米勢との対決はない。
 2002年の日韓でのワールドカップで南米勢を倒して優勝すれば、本物の「世界一」が折り紙付きとなる。
 フランスがなぜ、ここまで強くなったのか。ぼくは、その理由を知りたいと思っている。
 いま、世界のサッカーは「プレスの時代」である。きびしいマークをして、2人がかり3人がかりで取り囲んで圧迫して守る。
 そういう守りのなかで、すばやいパスを組織的につながなければ攻めることができない。いわば労働力と組織力が幅を利かせている時代である。そういう時代にフランスが適応しているのが不思議である。
 フランスは個人主義と自由主義の国だというのが、ぼくの先入観である。そういう国のサッカーが、個人の能力にプレッシャーをかけるサッカーのなかから抜け出して、すぐれた個性を組織のなかで生かすようなサッカーを創り出しつつあるのであれば、すばらしい。

育成政策の成果?
 フランスのサッカーが強くなったのはなぜか。よく挙げられる理由が二つある。
 一つは、代表チームが、いろいろな人種のプレーヤーの混成になったことである。
 戦前のフランス代表チームは、白人だけで構成されていた。フランスは、アフリカにいくつも植民地を持っていたが、そこから選手を移入して代表に加えることはなかった。
 現在は、もと植民地だった国からの移民あるいは移民の子孫などが、フランス国内でプレーし、代表チームに加わるようになっている。いろいろな特徴の遺伝子を持つプレーヤーによって、いいサッカーチームができる可能性が高くなったというわけである。
 もう一つ、フランスのサッカーが強くなった理由として挙げられているのは「育成計画の成果」である。
 日本語訳の出ている「フランスのサッカー」(文庫クセジュ)という本によると、フランスで選手育成の施策が始まったのは1972年で、協会に全国的な指導部門が設けられた。1974年には国立サッカー研究所ができた。そして各地に40以上の育成センターができて、それぞれの地域で自主的に子どもたちの年代からの育成をはかった。
 1980年代以降のフランス代表チームの成績は、この計画的な育成政策の成功を示しているという。
 この二つの説明だけでは納得しかねるところもある。しかし、フランスのサッカーについて、もっと勉強する必要があると思っている。


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