2002年。いよいよワールドカップの年だ。というわけで、お正月の新聞にはワールドカップ特集が花盛りだった。多くの新聞に日本代表トルシエ監督のインタビューが載っていた。読み比べてみるとおもしろい。全部読んではじめてトルシエ監督の考えの全貌が浮かび上がる。
目標はW杯獲得?
フィリップ・トルシエ監督は「優勝する」と宣言、ファンに期待を抱かせた――これは、元日の産経新聞の記事の前文の一節である。
「えっ、ほんと。優勝宣言するほど日本代表の実力を信じているのかなぁ」とびっくりする。
本文のなかには、次のように書いてある。
「日本代表のW杯での目標は何ですか」という質問に、トルシエ監督は次のように答えている。
「日本の文化、歴史、独創性に基づいた独自のサッカーを見てもらうのが第一だ。次に、結果を残すこと。できるだけ上にあがって、W杯トロフィーを勝ち取りたい」
なるほど。「優勝宣言」というのはオーバーかもしれないが「目標は優勝」と話したらしい。
しかし、他の新聞の記事を読むとニュアンスは、だいぶ違う。
「ワールドカップにかける私の夢は優勝だ」というのが、真意に近いようだ。夢と目標と宣言では、かなり違う。
トルシエ監督は、次のようにも言っている。
「英国での掛け率などが伝えられているが、日本の優勝の可能性がゼロだという予想はない。確率ゼロでないのなら、それに賭けてみよう」
「決勝トーナメントに進出することができれば、快挙といっていいだろう」
本心では、ベスト16進出がかなり難しいことは分かっている。しかし優勝めざして戦おうということのようだ。
フェアプレーで
こういう発言は、代表監督としては実に適切である。
「優勝は無理とあきらめている」となどということはできない。代表監督は評論家ではない。「できれば優勝」というほかはない。
といって、世界のサッカーを知り尽くしている者として「決勝トーナメント進出は、らくらくですよ」ということもできない。グループリーグのベルギー、ロシア、チュニジアのどれをとっても、日本が楽に勝てる相手ではない。現実を無視したホラを吹いては監督としての資質を疑われる。
ぼくは「優勝宣言」よりも「日本のサッカーを世界に示したい」という発言に注目した。「フェアプレーで、美しいサッカーを」という意味のようだ。
意地悪くとれば、グループリーグで敗退したときに「負けたけれども美しいサッカーをした」と言えるように、あらかじめ予防線を張っているといえないこともない。
しかし、ぼくは、素直に、この言葉を受け取った。トルシエは、この4年間に異文化理解に苦しみながらも、日本のサッカーの「よさ」を見つけようと努力してきたのではないか。それが「フェアプレーで、美しいサッカーを」という発言になっているのではないかと思った。
このほか技術と戦術についての話もしている。Jリーグの協力を求める注文も加えている。とくに森島のいるC大阪にも考えをめぐらしてJ2の協力を要求している抜け目のなさに感心した。
成功裏に白鳥の歌を
新聞業界の内幕をばらすと、トルシエ監督との新年インタビューは、各新聞がそれぞれ独自に行なったようにみえるが、実はそうではない。
暮れの12月10日に、主要な新聞・通信社のサッカー担当記者とトルシエ監督との懇談会があった。内容は、元日付け以前には公表しないという取り決めをしたうえのことである。
2時間にわたって、記者たちが質問し、トルシエ監督が答えたことをインタビューとして、それぞれの社が使ったわけである。
ふつうの記事のなかに談話として折り込んだ新聞もあったし、一問一答の形で載せた新聞もあった。ぼくの見たかぎりでは、読売新聞と東京新聞が、韓国のビディンク監督のインタビューと並べた形で比較的くわしく載せていた。
各紙の記事を全部、読み比べてみて、はじめて全貌が推測できる。一つの新聞の記事だけ見て安易に「トルシエ批判」をしてはいけないことが分かる。
各紙のなかで、いちばん詳しかったのは、英字紙のジャパンタイムズの記事だった。これは筆者の木ノ原久美記者の才筆によるところが大きい。
ジャパンタイムズの記事には「トルシエは白鳥の歌を成功のうちに歌うことを夢見ている」という意味の見出しがついていた。辞書を引いてみたら英語で「白鳥の歌」は「最後の作品」という意味らしい。つまり、トルシエはワールドカップのあとは、日本代表の監督をやらないということである。
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