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サッカーマガジン 2002年1月2日号
ビバ!サッカー

2002年は「祭」の年に!
日韓W杯を気軽に楽しもう!

 いよいよ2002年。ワールドカップの年だ。グループリーグの組み合せも決まって、マスコミも熱が入ってきた。どんな大会になるか、おおいに楽しみである。でも、ちょっと心配なこともある。あまりにもまじめな議論が多くて、なんだか堅苦しくなりそうな気配もあるからだ。

大まじめなマスコミ
 京都のお寺で、その年を象徴する漢字一字を毎年、公募で選んでいる。2001年は「戦」に決まったという話である。ハイジャックした旅客機でニューヨークの高層ビルに体当たりするテロがあった。引き続いて米国がアフガニスタンに空爆を加えて、タリバン政権を引っくり返した。それに刺激されたのか、イスラエルとパレスチナの紛争も激しくなった。こういうことが年の後半に起きたので「戦」のイメージが増幅されたらしい。
 2002年は「祭」になってほしいな――と、ぼくは思った。ワールドカップの年である。世界の注目が日本と韓国に集まる。世界の大衆がテレビを通じて4年に一度のサッカーのお祭りを、おおいに楽しんでもらいたい。ぼくも楽しみたい。その印象が2002年を通じて残るような年になればいいなと思う。
 だけど、ちょっと心配なこともある。
 このところ日韓共催のワールドカップをめぐって、各地でマスコミ主催のシンポジウムや講演会が開かれている。新聞やテレビでもワールドカップの特集がさかんに行なわれている。お正月の新聞の新年特集は、ワールドカップ一色になるだろう。
 それはいいのだが、取り上げられる話が、どうも大まじめすぎる。
 「日韓共催の意義を問う」
 「日本はベスト8に進出できるか」
 「フーリガン対策を厳しく」
 いやあ、ちょっと肩に力が入りすぎてるんじゃない。もっと気楽に楽しもうよ、という気になってきた。

規制しすぎが心配
 大まじめな論議が悪いというつもりはない。ぼく自身が、そういう堅い話の片棒を長年かついできた。そのぼくが、びっくりするくらい世の中がワールドカップを真剣に考えている。
 「ワールドカップで、どんなことをすべきだと思いますか」
 正月原稿のために取材にきた新聞記者に、こう聞かれた。
 「えーと、JRの兵庫駅から神戸スタジアムまでを歩行者天国にして屋台で飲み食いしたり、お土産店を冷やかしたりしながら試合を見に行って、帰りにも通りの屋台で祝勝会や残念会をやれるようにしたいですな」 
 「でも多くの人びとは、入場券を持っていないんですから、見に行けませんよ」
 「仲間と集まってテレビの前で飲み食いしながら試合を楽しみましょう。スポーツパブがあちこちにできているじゃないですか」
 「そういうことをすると、フーリガンたちが騒ぐんじゃないですか」 
 「ぼくはね、1970年メキシコ大会から1998年フランス大会まで8回連続でワールドカップを現地に行って楽しんでいますが、フーリガンを目撃したことは一度もありませんよ。新聞でフーリガンがけんかした記事を読んだ程度ですよ」
 どうも、熱狂してお祭騒ぎをする大衆と暴力行為常習犯のフーリガンが混同されているらしい。 
 「大まじめに規制して、お祭騒ぎを楽しめなくなるんじゃないか」と心配である。

共催を楽しもう 
 とはいえ、まじめな話も、もちろん悪くない。 
 12月8日に東京の明治大学を会場に「サッカーW杯、日韓共催の意義を問う」というタイトルの、それこそ大まじめなシンポジウムが開かれた。パネリストとして、ぼくが日本側の話をし、韓国「中央日報」のチョン・ヨンジエ記者が韓国側の話をした。 
 「われわれ日本人の間に、韓国人に対する、いわれのない差別の気持ちが残っている。共催が、そういうものを消し去るきっかけになればいい」と、ぼくが話した。 
 「韓国人の間に歪曲された反日感情が根強い。両国民の心理的距離を縮める機会になるといい」とチョン・ヨンジエ記者が話した。 シンポジウムのあとで、友人たちと話をしていたら、若い仲間がこう言った。「ぼくたちの世代では、そんな心理的距離はないと思うな」 
 釜山で行なわれたグループリーグの組み合わせ抽選会のときに、韓国のチョン・モンジュン会長が、韓国の民族衣裳で登場した。それをテレビで見て、日本の年寄りたちは「やりすぎた」と違和感を持った。若者たちは「日本の岡野会長も羽織はかまで出ればかっこよかったのに」と思った。そういう違いがあるという説である。 
 そういうことなら、両国の若者がいっしょになって、お祭騒ぎを計画すればいい。民族衣裳でなくていい。Tシャツ、ジーパンでいいけど、お互いの文化に敬意を払い、心理的距離を感じないで異文化交流を楽しめたらいいなと思う。


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