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サッカーマガジン 2001年12月5日号
ビバ!サッカー

日本対イタリア戦の意味は?
欧州移籍組の活躍は成果だ!

 日本代表対イタリアの試合は、ワールドカップを半年後に控えて、トルシエ日本の一つの節目だった。欧州に移籍したばかりの小野伸二と稲本潤一のがんばりが収穫だったと思う。海外に出ているプレーヤーを主軸に、これからどうチームをまとめていくかが課題である。

準備段階の最後
 日本代表対イタリア代表は、ワールドカップ本番へあと半年あまりに迫った時点での試合という点で、見逃すことのできない試合だった。
 にもかかわらず――。
 11月8日に埼玉スタジアムで行なわれたこの試合を、ぼくは止むを得ない事情で見に行くことができなかった。テレビを見るヒマもなかった。行く予定をしていたのだが、兵庫県加古川市から「さいたま市」まで往復する時間がとれなかった。かえすがえすも残念無念である。
 この試合の意味を、ぼくはこう考えている。
 来年6月の本番へ向けて、トルシエ監督は、これから代表チームのメンバーをしぼっていかなければならない。チームの形を固めていかなければならない。そう考えると、いろいろなプレーヤーを、ためしに使ってみる機会は、今後はあまりないだろう。したがってイタリア戦は、仕上げ段階への移行の時点で準備段階の最後の機会だった。
 本番の前年になって、代表の主力の選手がつぎつぎに海外へ出ていった。彼らを全員呼び戻して、チーム編成を試みる機会は貴重である。そういう意味で、中田ヒデ、稲本、小野、西沢、高原の加わった試合を、日本で見ることができたのはよかった。
 もちろん7時間以上の時差のある国から「とんぼ帰り」をして出場する彼らの体調は十分ではない。それでも、日本のサポーターの前で日本代表の一員として戦う姿を見せることには大きな意義があった。

順当な引き分け
 試合は1対1の引き分けだった。
 親善試合だから、結果に大きな意味があるわけではない。しかし、それにしても、双方にとって、まずまずの結果だったと言っていい。
 試合を見に行くことができなかったのは、まことに残念無念だったのだけれど、ぼくは強力な情報網をもっている。その一つが、東京北千住の読売・日本テレビ文化センターで開いている「ビバ!サッカー講座」の仲間たちである。
 わが「ビバ!サッカー」の仲間はそれぞれサッカーについて個性あふれる独特の見識をもっている。マスコミの紋切型の報道とは違う情報、ものの見方を仲間たちから得ることができる。
 仲間の一人がこう報告した。
 「この試合は日本が勝つべき試合だった。相手のイタリアは、3日前にセリエAの試合をして、試合の前日に来日し、翌日には戻らなければならない強行日程である。単なる親善試合に、どうしても勝たなければならないというモチベーションはない。本来の実力には差があっても、地元の日本は互角以上に戦えたはずである」
 「まったく、そのとおり」と、ぼくも思う。
 ただし、現代はグローバルなテレビ時代である。イタリアの大衆は、衛星中継によるテレビで試合を見ている。アウェーの親善試合であっても、そうそう手を抜くことはできない。つまり、負けるのはぐあいが悪い。1対1の引き分けは、双方にとって適切な結果だった。

殊勲者は小野だ!
 日本は前半10分に先制点をあげた。中盤左で稲本が相手のミスしたボールを拾い、すばやくゴール前へあげ、柳沢が決めた。
 翌日の日本の新聞の多くはゴールを決めた柳沢を取り上げていた。柳沢はこのゴールで注目を集め、欧州への移籍も話題になったのだから、ヒーロー扱いするのも悪くはない。
 ただ、このゴールについていえば「これは稲本の殊勲じゃないか」とぼくは直感した。ボールを奪って、すぐにゴール前へあげた一瞬の判断がよかったのではないか。
 わが北千住の「ビバ!サッカー」の仲間は、さらに、その前まで見ていた。
 「稲本がボールを拾えたのは、その前に小野が粘り強く守備をしたからなんですよ」
 なるほど。
 そうであれば、日本代表として理想的なゴールだったといえる。
 北千住の仲間は、インターネットでイタリアの新聞の評価も、すぐ手に入れている。
 「イタリアのスポーツ新聞の評価では小野が7点で最高でした」
 さすがサッカーの国イタリアのメディアだ。ゴールをあげたプレーヤーにしか飛び付かない、どこかの国のスポーツ新聞とはレベルが違う。
 後半から登場した中田ビデは不調だったということだったが、北千住の仲間には別の評価もあった。
 「ヒデが入った後半から日本は落ち着いてきました」
 いまは不調でも、ヒデはやっぱり重要だと思う。


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