先に「サッカーの魅力」について5回連続で書いたときに書き残したことを「補遺」として追加しておきたい。まっとうな歴史学や文化学に挑戦する気はさらさらないが、さまざまな珍説・奇説を述べあうことができるのも「サッカーの魅力」あり「奥深さ」である。
野球は一騎打ち説
「サッカーの魅力を考える」と題して5回にわたって書き続けたら、あちこちから反応があった。なかでもおもしろかったのは「野球とサッカーの違い」について、いろいろな新説・珍説・奇説が寄せられたことである。
サッカーと野球は、明治のはじめにほぼ同時に日本に紹介されたが、野球は明治の中ごろにすでにゲームとして楽しまれるようになっていたのに、サッカーはなかなか普及しなかった。それはなぜか、ということについて、ぼくの考えを書いたのだが「それは違う」という意見がつぎつぎに現れた。
「野球は一騎打ちのスポーツだ。日本人は一騎打ちが好きなんだ」という説があった。ぼくが教えている大学の学生から出た意見である。
日本のサムライは名乗りを上げて一騎打ちを挑む。「やあ、やあ。われこそは武蔵の国の住人、何の誰兵衛なり。いざ尋常に勝負せん」と呼ばわって戦いをはじめる。その伝統があるから、投手と打者の一騎打ちの野球が日本で普及したというのである。
おりから、NHKの大河ドラマの「北条時宗」で蒙古襲来をやっていた。博多湾から攻めあがった蒙古の軍勢に対し、鎌倉武士が「やあ、やあ、われこそは……」と名乗りを上げる。ところが、蒙古軍はまったく無視して大勢で攻めかかる。それで日本はやられっぱなしだった。
このテレビ・ドラマに影響されて一騎打ち説を思いついたのではないだろうか。
ゲタとハカマ説
「明治時代の日本人は、クツではなく下駄(ゲタ)をはき、ズボンではなくハカマ(袴)を着用していた。それが野球とサッカーの普及の違いを生んだのだ」という説もあった。
ゲタをはいてボールを蹴ったら、ゲタのほうが脱げて飛んでいってしまう。といって、ハダシでボールを蹴ったら痛い。野球はハダシでもわらじでもできる。
フィールドを走り回るにはハカマは不便である。だからサッカーにはむかない。野球は走る場面が少ないからハカマでもできる。守りの場面でゴロをトンネルしても、股間でハカマが止めてくれる。
明治時代の服装が原因だという珍説である。大正時代に入って、クツと洋服の普及につれてサッカーも普及したということになる。
ハダシでもサッカーをやれないことはない。ツマ先で蹴ったら痛いがふつうはインステップ(足の甲)かインサイド(足の内側)で蹴るからそれほど痛くはない。インドのチームが国際舞台に登場したとき、ハダシの選手が多かった。それでFIFA(国際サッカー連盟)がシューズ着用をルールとして強制したという話がある。現代でも、東南アジアやブラジルの子どもたちは、ハダシでボール遊びをしている。
ハカマだって、すそをからげて動きやすくすることができる。明治時代には「ももひき」とタビ(足袋)で走り回って仕事をしていた人たちもいた。
だから服装説は正しくないと思うが、ユニークでおもしろい。
走るのが嫌い?
いま、三つの大学で講義をもっている。務め先の兵庫大学では「社会情報論」という名前でテレビや新聞やインターネットの話をする。非常勤の龍谷大学の「スポーツ・メディア論」ではスポーツの情報について考えている。関西大学は「マス・コミュニケーション特論」という授業だが、スポーツをテーマにマスコミの話をしている。
この三つの大学の総勢300人くらいの学生に「日本へのスポーツの伝来」について書いてもらった。そのなかに一騎打ち説や服装説があったわけである。「正統な学説や定説の知識を問うわけではない。頭の体操のつもりで自由に書いてくれ」と言ってあるので、いろいろな発想でおもしろい仮説が飛び出してくる。
学生のなかには「サッカー・マガジン」の愛読者もいる。10月24日号の読者のページ「Mのアトリエ」に載っていた「足には人間の感情があらわに出るという意見に賛成です」と書いた学生がいた。
10月31日号には「明治時代の日本人は仕事に差し支えるほど疲れるスポーツはしなかった」という説が載っていた。
学生の書いたもののなかにも、これに似たものがあった。「日本人はもともと走るのが嫌いだった。江戸時代のスポーツの剣道では、ほとんど動かないで、にらみあっている」という意見である。高橋尚子ががんばっているのは、その後、日本人の習性が変わったからだろうか?
ともあれ、珍説、奇説入り乱れるのもサッカーを語る楽しみである。
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