「世界最高のサッカー」の話を紹介したい。最高といっても競技レベルではない。世界でもっとも高い場所で行なわれた試合のことである。2001年8月3日に南米ボリビアの最高峰サハマ山の山頂でサッカーの試合が行なわれた。標高6542メートルである。
ボリビアの最高峰で
「ゴールより酸素の争奪戦」という見出しで「世界最高のサッカー」に挑戦する計画が、5月2日付けの朝日新聞に載っていた。ボリビア山岳会が、この国の最高峰、サハマ山の山頂でサッカー大会を開催すると発表したニュースである。
サハマ山は標高6542メートル。ヒマラヤ級の高さだが、ヒマラヤの山のようにけわしくはない。山頂が平らでサッカー場くらいの雪面があるという。ボリビア山岳会とボリビア陸軍測地研究所のチームが参加するがほかに2チームの参加を募っているということだった。
この計画が、その後どうなったかも新聞に載ったのだろうが、ぼくは見落としていた。しかし、日本山岳会の月刊の会報「山」の2001年8月号に掲載された江本嘉仲さんの記事で、その後を知ることができた。江本さんは読売新聞の社会部、国際部で活躍した記者である。世界最高峰チョモランマ(エベレスト)の登山隊に参加したこともあり「海外の山」の情報に詳しい。
江本さんの記事によると、この最初の計画は失敗に終わった。7月初旬に80人ほどの人が集まって登りはじめ、中間地点のキャンプまで45人が到達した。しかし、高度の影響と強風でその先が難航し、頂上にたどりついたのは8人だけ。高所サッカーはできなかった。
標高6000メートル以上だと空気中の酸素は平地の3分の1くらいになる。いきなり登れば酸素不足で高山病になる。サッカーどころか登るのもむずかしい。
2回目の試みで成功
ところが、この失敗を乗り越えて1カ月後に再度の挑戦が行なわれ、8月3日に山頂サッカーが成功した。このときは、もともと高所に住んでいる地元のアイマラ人たち17人でサッカー登山隊を編成し、午前10時までに登頂して、7人ずつに分かれて20分ハーフの試合をした。試合結果は3対3の引き分けだった。
登山隊が出発した麓の村は、標高4200メートルだそうだ。こういう場所に住んでいる人たちは、低酸素になれている。
この試みには二つの動機があったらしい。
一つは「ボリビア高所病理学研究所」が、高所医学の研究の一つとして計画したことである。
もう一つは、ワールドカップ予選の試合で、アルゼンチンと3対3で引き分けたことである。アルゼンチンは日韓共催の来年の大会の優勝候補である。その強豪との地元での試合が4月25日にラパスで行なわれ3対3で引き分けた。ラパスは標高3600メートル。その高度を利してアルゼンチンを苦しめた。そこで高所に強いボリビアのサッカーをアピールしようと盛り上がったらしい。これは朝日新聞に書いてあった。
江本情報からもう一つ、付け加えておこう。
この高地サッカーの成功より前の6月に、片山忍という日本人が地元のガイドと2人で登頂し、ヘルメットをボールに見立ててガイドにボールを蹴る格好をさせ写真を撮った。その写真が日本山岳会の会報に江本さんの記事とともに掲載されている。
チョモランマで
片山さんは、もともと高所サッカー計画に参加するためにボリビアに行ったのだという。ところが6月に行なわれる予定が7月に延期されたために、やむなくガイドとともに登頂だけをはたした。それでも、サッカーのまねごとの写真をとって帰ったという執念がおもしろい。
ところで、ボリビアの高所サッカー計画には、もう一つ動機があった。それは「高所サッカーの世界記録」を破ることだった。
これまでの記録は、世界最高峰チョモランマ(エベレスト)のベースキャンプ(5300メートル)で、各国の隊員とシェルパの試合が行なわれた記録がある――と朝日新聞に書いてあった。
このチョモランマでの試合を紹介したのは、何を隠そう、ぼくである。
1988年に中国、日本、ネパールの三国合同登山隊を組織し、北側(中国側)と南側(ネパール側)から登頂して交差縦走する計画を立て5月5日に成功した。
このとき、ぼくも4月下旬に北側のベースキャンプに出掛けた。そこでチョモランマから流れ出るロンプク河の氷のうえで、中国のチベット人隊員とネパールのシェルパ族隊員とが「国際試合」をしているのを見た。写真を撮って帰って「サッカー・マガジン」のビバ!サッカーで紹介した。
この試合に日本人隊員も、1人だけ参加した。静岡県浜松市出身の小池英雄隊員である。これも「ビバ!サッカー」に書いて、ちゃんと歴史に留めてある。 |