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サッカーマガジン 2001年8月8日号
ビバ!サッカー

大阪五輪の招致失敗を考える
東アジアの連帯を強化しよう

 大阪市のオリンピック招致運動は大失敗だった。国際オリンピック委員会(IOC)の投票で5都市中の最下位。予想されていたとおりであり、また当然の結果だと思うが、大阪市だけでなく、日本のスポーツ界全体としても考えなければならないことが多いのではないか。

北京開催が当然 
 「大阪は無念の落選」
 こんな大見出しが、大阪印刷の全国紙の1面に出ていた。7月14日付けの朝刊である。
 2008年のオリンピック開催地に北京が選ばれ、大阪は第1回の投票で8票しかとれずに最下位で落選した。それが「無念」だというのである。 
 たまたま、その週末に東京へ行ったので、同じ新聞の東京版を見てみたら「大阪は最下位落選」とあって「無念の」という文字はなかった。大阪の立候補に対する熱意は、全国区ではなかったようだ。 
 「無念の」という表現に、大阪市の考え方と、それに密着した大阪の一部マスコミの姿勢が表れている。 
 大阪市民の反応はどうかというと、同じ新聞の次の日の夕刊社会面には「市民ひややか」という見出しの記事が出ていた。市民は「無念」とは思っていないのである。 
 2008年オリンピックの開催地を決める投票は、7月13日夕(日本時間13日夜)にモスクワで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)の総会で行なわれ、2回目の投票で中国の北京が過半数を超える56票を獲得した。当然の結果だと思う。 
 日本は1964年に東京オリンピックを開催した。韓国は1988年にソウル大会を開催した。アジアから選ぶのなら次は中国の番である。 北京は2000年の大会にも立候補して、そのときはシドニーに僅差で敗れている。経済的にも発展しつつある大国である。オリンピックを開く意義は、いろいろある。

借金だけ残る?
 3年ほど前に、オリンピックについてのシンポジウムが、大阪で開かれたので行ってみたことがある。そのときに「大阪にオリンピックはいらない連」という団体の代表者が次のようなことを話した。
 「大阪市は、オリンピックを開くためと称して、大阪湾を埋め立ててスポーツ施設や大団地や地下鉄の工事を計画しています。しかし、そのほとんどは不要不急のものです。大阪にオリンピックが来ないことになになれば、計画はみなご破算にしなくてはなりません」 
 「大阪が選ばれる可能性はほとんどないのです。多くの人が、ダメだろという見通しを持っています。可能性は十分あると言っているのは、大阪市の当局の一部の人たちだけなんです」 
 「大阪市は、ここまできて立候補を取り止めることはできません。しかし、そうかといって突き進んでも成功の見込みはありません。必要のない工事のための借金だけが残るという結果になります」
 「いい方法は一つしかありません。北京が立候補したのは、いい機会です。隣の国との友好のために、アジアの結束のために、立候補を取り下げて北京に譲ることです」 
 このシンポジウムに、日本オリンピック委員会(JOC)からは幹部が1人、東京から来ていた。しかし、どういうわけか、大阪市の招致委員会は姿を見せていなかった。反対派ではあっても、市民との対話を拒否するような姿勢なら、オリンピックをやらないほうがいい。

日韓共催後のために
 結果は3年前に「大阪にオリンピックはいらない連」の代表者から聞いた話の通りになった。
 大阪はひどい惨敗を喫した。
 オリンピックの会場の予定地として大阪湾を埋め立てた三つの人工島を予定していたが、そのための起債の借金が1130億円残った。
 磯村市長は「今回落ちても、再挑戦する」と言っていたが、モスクワから帰国すると「再立候補は白紙」と事実上の断念宣言をした。
 舞洲に建設する予定だったスタジアムの計画も中止になった。将来は人口4万5千人の街にする予定だった選手村のアパート群建設も取り止めた。建設しても売れる見込みは立たないのである。地下鉄の建設は続けるというけれど、人の住まないところに地下鉄を通してどうするのだろうか。
 「北京に譲っておけば、かっこよかったのに」と、いまさらながら思う。
 「サッカーのワールドカップも韓国に譲っておくべきだった」という意見もあるだろう。これはちょっと事情が違う。
 しかし、共催になったのをいい方向に生かして、うまく協力して開催できれば「アジアの結束」に貢献できるだろう。
 6月にソウルで開かれた韓日サッカー・ジャーナリスト・セミナーのときに、ぼくは「2003年以降がたいせつだ。日韓共催が東アジアのスポーツを結びつけるのに役立つようにしたい」と述べた。
 北京オリンピックも、そういうようになってほしい。


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