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サッカーマガジン 2001年7月4日号
ビバ!サッカー

コンフェデ杯は何を残したか?
ビバ!講座受講者の意見から!

 コンフェデレーションズカップの興奮が収まって「ほっと一息」である。日本が決勝に進出し、フランスに敗れはしたが0−1の接戦を演じて「結構、やれるぞ!」という結果だった。トルシエ監督への評価、ヒデの決勝欠場、新しい戦力の登場などいろいろな問題があった。

トルシエ監督への評価
 新潟でコンフェデレーションズカップの2試合を見たあとに近親者の不幸があり、あとの試合は見ることができなかった。日本代表の活躍をこの目で最後まで確かめることができなかったのは残念である。
 しかし、ぼくは強力な支援軍団を持っている。それは東京の北千住で開講している「よみうり・日本テレビ文化センター」のビバ!サッカー講座の受講生の皆さんである。これは、このページの熱心な読者の月2回の研究会のような集まりである。
 受講生といっても、それぞれが専門に興味を持っている分野に関しては、講師よりもずっとくわしい。というわけで、定員30人で60の目が、ぼくの二つの目を補強してくれる。
 そこでコンフェデレーションズカップについても、ぼく自身で見ることのできなかった部分については、ビバ!サッカー講座のみなさんの意見を聞いてみることにした。
 まず、トルシエ監督への評価。
 1年前のトルシエ・バッシングがウソのように、スポーツ新聞も、いわゆる評論家も、トルシエ監督を持ち上げている。
 ビバ!講座の受講生の大多数は、もともとトルシエを正当に評価していた。今回の成果も冷静に見て、よかったところ、疑問を感じたところを適切に指摘してくれた。
 とはいえ、中には「つむじまがり」もいて「たまたま好成績でトルシエ解任の機会を逃したのは残念」という意見もあった。 
 こういう頑固な考えがあるのも、またおもしろい。

ヒデ「帰国」について
 中田英寿は、決勝戦には出場しないでイタリアへ「帰国」してしまった。これについては、いろいろな考えがある。
 「トルシエは、ヒデがいなくてもいいようなことを言っていたこともあるのに、最後になって決勝戦に残すよう強硬に主張したのはなぜか」という疑問が出た。
 ヒデはイタリア・リーグのシーズン途中で日本代表に参加した。所属のローマの優勝が決まるころだったので、ローマの一員として優勝の場面に立ち会いたいだろうという気持ちは想像できる。ローマのほうも戦力として手元に置いておきたいのは当然である。
 一方、コンフェデレーションズカップはFIFA(国際サッカー連盟)の公式の選手権なので、日本サッカー協会が「中田英寿を日本に残せ」と要求すれば優先権がある。したがって規則のうえでは、ヒデを決勝まで残すことはできたはずである。
 「トルシエは日本代表の監督なんだから、自分のチームのために最善のメンバーを求めるのは当然で、喜んで送り出したりしたら職務怠慢である」というのが、一つの代表的な意見だった。
 「日本サッカー協会が、いちばんはっきりしない。ヒデの意志を尊重しているように見えるが、ヒデとトルシエが話し合って決めればよいという無責任なコメントもあった」という意見もあった。
 最初から「ヒデは全試合に残す」と協会が決めておくべきだったのではないだろうか、とぼくは思う。

鈴木と小野の活躍
 コンフェデレーションズカップでは、トルシエ監督の選手起用と用兵が、つぎつぎに当たった。シドニー・オリンピックやアジアカップで疑問視されていた不安が、これで一掃された感じになった。
 若手、新人の起用など、いろいろあったが、目覚ましかったのは、第2戦のカメルーンとの試合で、トップに起用した鈴木隆行が2ゴールをあげたことである。
 「鈴木のすばらしい点はまず、守備力である。守備力を形成する運動量と闘志である」
 「鈴木は視野が狭く技術も高いとは言えないが、鈴木のハートは強かった。鹿島、ブラジル留学、市原、川崎Fと恵まれないままチームを変わりながら、よく、ここまで頑張ってきた」
 北千住の仲間が鈴木について、このように書いてくれた。
 ぼくの印象は、少し違う。
 カメルーン戦で見たところでは、鈴木は本能的な得点感覚に優れているのではないかと思った。
 いずれにしても、ストライカーのコマが増えたのは大きな収穫である。
 選手起用と用兵について、もう一つあげれば、小野伸二である。
 中村俊輔と名波の欠場もあって、左サイドに起用され、十分に期待に応えたと思う。
 ぼくは、北千住の講座で、こう話した。
 「ひょっとしたら、2001年のコンフェデレーションズカップは小野伸二が地位を築いた大会として記憶されるんじゃないでしょうか」


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