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サッカーマガジン 2001年6月20日号
ビバ!サッカー

コンフェデ杯新潟でスタート
スタジアムへは歩いて行こう

 コンフェデレーションズカップの試合が新潟ビッグスワンで行なわれた。サッカー不毛といわれていたこの町で青春時代をおくったぼくとしては感無量である。立派なスタジアムができた。日本はカナダに快勝した。満員の観客が楽しんだ。さあ、ワールドカップまで、あと1年だ。

故郷での試合に感激
 日本代表チームのコンフェデレーションズカップ第1戦が新潟スタジアム、ビッグスワンで行なわれた。「いやあ、よかった!すばらしい!」と、ぼくは心のなかで感涙にむせんだ。
 新潟は米どころ越後平野のかなめにあたり、豊かで落ち着いたいい町である。しかし雪国で冬の気候がきびしいため、屋外のスポーツはあまりメジャーではなかった。室内のバスケットボールとレスリングが盛んだった。いまから半世紀以上前の話である。
 この町の中学に入ったころ、ぼくはサッカーというスポーツそのものを知らなかった。敗戦後、中国のチンタオ(青島)から引き上げてきた友だちがサッカー部を復活させて、初めて足でボールをけるスポーツがあることを知った。当時県内に、サッカーチームは片手の指で数えられるぐらいしかなかったと思う。
 そういう新潟がワールドカップの会場地になり、すばらしいスタジアムが完成し、日本代表チームの試合が初めて行なわれ、4万人近くのファンがスタンドを埋めたのだから、すばらしい変わりようである。
 ぼくの高校時代の親友が新潟県サッカー協会の副会長をしていて「新潟にワールドカップを誘致したいから手伝え」といわれて9年。東京でスポーツ記者をしていたときの経緯と人脈がお役に立てばと、及ばずながら招致と準備に協力し、スタジアムの設計にもアドバイスをさせてもらった。それが形になったのだから、感無量なのである。

カギは交通と輸送
 さて5月31日。日本対カナダの試合の日である。
 ぼくは新潟駅南口からシャトルバスでスタジアムに行くことにした。というのは、ワールドカップのときの大きな問題の一つは交通輸送だと考えているので、そのテストを実地に経験しようと思ったのである。
 試合は午後7時半キックオフだ。ぼくは「少し早めに」と思って午後5時50分にバス乗り場へ行った。試合開始の1時間40分前である。そこからスタジアムまで、ふつうは車で10分ほどしかかからない。
 ところがである。
 新潟駅南口からバス乗り場まで、数百メートルの長蛇の列だ。列の最後尾に並んでバスに乗り込むまで、小1時間かかった。
 運営に不手際があったわけではない。行列の管理は実によく計画されていた。行列の整理も警察官と警備会社の人たちが適切に協力していて混乱はなかった。地元のバス会社の貸し切りバスは引っきりなしにやってきて、これ以上のことは望めないほどだった。
 それでもバスに乗るまでに1時間近くかかった。準備や運営が悪かったわけではなくて、バスの利用者が予想以上に多かったのだと思う。
 バスに乗っていた時間は20分だった。試合のある日にしては渋滞は少なかった。まずまずである。
 バスを降りてから、報道受け付けの入り口を探すのに手間取ったので席に着いたのはキックオフ直前だった。競技場周辺の案内表示が不十分だったのは反省点だろう。

歩行者天国のお祭りを
 交通輸送の点では、新潟は恵まれている。仙台のような山のなかの競技場と違って平野のまんなかにあるから四方からアクセスできる。交通渋滞の心配はほとんどない。
 それだのにバス輸送で問題が起きたのは「駐車場は使えません。バスを利用してください」という宣伝が利き過ぎたからではないか。
 駐車場は他の都市のスタジアムに比べれば非常に広大である。しかし一般市民の自家用車での乗り入れを認めれば、道路のほうの混雑がひどくなるだろう。
 では、どうすればいいか。
 新潟の場合でいえば、駅から歩いて行くことを奨励すればいい。せいぜい40分である。
 ええっ! 40分も歩くの? といわれそうである。
 しかし、ヨーロッパや南米にサッカーを見にいって、駅からスタジアムまで歩くのはふつうである。歩いて行きながら、歌をうたい旗を打ち振って気勢を上げる。そのお祭り騒ぎがサッカー観戦の楽しみでもある。
 実は新潟では、駅からスタジアムまで歩行者天国にして歩いて行ってもらおうという案もあった。しかし車両運行の障害になるし、沿道の住民が騒ぎを心配することもあって、歩いてスタジアムにいくことは、あえて奨励しなかった。
 だが沿道には食べ物屋さんもたくさんある。気勢を上げながら行って帰りは途中で祝勝会をやって楽しむのがいいんじゃないかと思う。沿道の住民の皆さんも、その日だけのことだから大目に見てください。


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