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サッカーマガジン 2001年6月13日号
ビバ!サッカー

大阪東アジア競技大会の教訓
官僚的な運営と通訳が心配だ

 5月の下旬に大阪で第3回東アジア競技大会が開かれた。サッカーも競技種目の一つだったが。日本のファンはほとんど関心がなかったかもしれない。でも、この大会の組織・運営からも2002ワールドカップへの教訓を引き出すことができたのではないか。

国際的な国体?
 大阪の東アジア競技大会のようすを見聞きして「これは国際的な国民体育大会だな」と思った。
 第一に、オリンピック並みにけばけばしくて、壮大なことである。5月16日に大阪ドームで行なわれた開会式は「ビジュアル・ファンタジー」と題した華麗なショーでNHKがテレビで中継した。開会式がテレビのためのショーになっているのはオリンピックも同じである。それはそれで楽しいが、スポーツとはあまり関係がない。
 第二に、競技の中身のレベルはかなり下がる。日本の国体は現在ではトップクラスの「選手権」としての意味はほとんどなくなっている。オリンピック代表クラスの選手も、まったく出場しないわけではないが、国体を目標にコンディションを整えて臨むということはまずない。
 第三に、それでも国別対抗の色合いはある。国体は道都府県対抗の天皇杯、皇后杯争いとしてかろうじて命脈を保っているが、東アジア競技大会では国別の獲得メダル数の表を、大会のコンピューターで検索することができた。国体では地元の天皇杯獲得が恒例になっていて、他の多くの府県はただ参加することに意義のある状態だが、東アジア大会の場合は、日本、中国、韓国の上位争いで、モンゴルなどの他の国は、やはり参加することに意義がある。
 それがいいか悪いかは、ここでは論じないことにしよう。ただ、内容は乏しいが大がかりな大会を組織運営したのは「大阪府」だったことを書き留めておこう。

記者会見の珍事
 大規模な国際大会だから、2002年のワールドカップの運営に役立つところもあるのではないかと関心を持っていた。
 5月19日に大阪ドームの開会式のあとの記者会見で、たちまち参考になりそうなできごとがあった、あらすじはこうである。
 開会式のあとで、参加選手団の代表9人を集めて記者会見があった。開会式の感想を語ってもらおうという企画である。ところが、その席に英語の通訳しか用意されていなかった。
 各国の選手たちは、必ずしも英語が話せるとは限らない。中国やモンゴルの選手は、英語を話さない人のほうが多いだろう。日本でも英語の得意な選手は少ない。
 司会者に英語で質問されても、選手は答えようがない。中国の選手の場合は、その場にいた中国のテレビ局の記者が通訳を買って出るしまつである。モンゴルの選手は、ひとことも話さないで退出した。
 新聞報道によると、大会組織委員会の役員は「大会公用語は英語だから、英語の通訳を用意すればいいと思った」と言い訳をしたという。
 これは、いかにもお役人的な発想である。現実にどういうことが起きるかという想像力がなく、文書にしたがってやれば、それでいいと思っている。
 東アジア大会は、大阪オリンピック招致をめざして、大阪市のお役所が中心になって組織・運営されていた。それで、こういう珍事が生まれたのだと思う。

語学ボランティア
 ワールドカップでは心配はないとは思うが、日本の各会場の運営の中心は、自治体つまり県や市のお役所になりそうだから、官僚的にならないよう気をつけてもらいたい。
 通訳に関する話をもう一つ紹介しよう。
 男子バレーボールの韓国対オーストラリアの試合のあと、韓国チームの監督を取り囲んで日本の記者たちが話をきいた。
 第1セット、オーストラリアが6対0とリードして韓国は苦しい戦いになった。オーストラリアは前年のシドニー・オリンピックの代表が主力で侮りがたい。
 結局は韓国が勝ったのだが、記者たちは「苦戦の原因はなにか」と質問した。監督の答えを通訳は「緊張してからだが動かなかった」とだけ訳した。
 監督は、いろいろと話していたので、それだけのはずはない。たまたま、ぼくの友人のベテラン記者の趙東彪(チョウ・ドンピョ)氏が、その場で取材していて「これは誤解のもとだ」と思って補足した。趙東彪さんは日本語が達者である。
 「韓国は企業チームを母体にプロリーグを作ることになり、いまそのための選考リーグをやっている。そのために企業のトップクラスの選手を選ぶことができずに、大学選抜で参加した。そのためにほとんどが国際経験の乏しい選手で、立ち上がりは緊張しすぎていた」
 語学ボランティアと呼んでいるシロートの通訳は、あまり役に立たない。これも教訓である。


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