スポーツくじ「トト」が全国発売になったが「どこで買えるの?」という問い合わせが相次いでいるという。どこでも、気軽に投票できるところに卜卜の良さがあり、それが弊害を少なくしているのだが、その点でPRも、準備も足りなかったのではないか?
どこで買えるのか?
「トトはどこで買えるのか」という問い合わせが、相次いでいるという報道を読んで「なるほど、そうだろうな」と思った。
3月3日の全国発売スタートに合わせて、トトの広告が新聞に繰り返し掲載された。その広告に、当たった場合の払い戻しの場所は書いてあるのだが、どこで売り出されるのかは具体的には書いてない。全国で発売するための広告だから、特定の地域で「どこに売ってます」とは書けないわけである。
しかし、払い戻しを受ける前には当てなければならない。当てるためには、まず買わなければならない。となると、広告に払い戻しの場所が書いてあっても意味がない。
それで、ちょっと町中を歩いて、きょろきょろしてみたのだが「トトあります」の表示に、ぼくの住んでいる近所では、さっぱり、お目にかかれなかった。
ヨーロッパのトトは「タバコ屋で気軽に買える」という話だが、いまどき日本ではタバコは自動販売機である。
地方都市では、ほとんど車で出歩くので、ガソリンスタンドで扱っていればいいが、近所のガソリンスタンドにはポスターもなかった。
歩いている人は、ほとんどスーパーへ買い物に行く。しかし、スーパーの近くに宝くじ売り場はあるが、トトの売り場はない。
というわけで「トトって、どこで売ってるの?」と疑問が出るのも無理はないと思った。売り場が少なすぎるのである。
分散型の長所
全国六千カ所に売り場をもうけたという話だが、とても、それでは足りないようである。宝くじ売り場のように、いたるところで目につくようでなければならない。
「いたるところで賭けごとができるように」というと、また反対論者から金切り声を浴びそうだが、実はギャンブルは、1カ所に囲い込むよりも、広く分散しておくほうが弊害は少ない。
ギャンブルの弊害の一つは、習慣性で、繰り返し繰り返し賭け続けることである。この弊害は、当たる確率が少なく、当たった場合の賞金額が高いほど少ない。つまり、射倖性が高いほど弊害は少ない。このことについては前号で説明した。
もう一つの弊害は群衆性である。競馬場や競輪場に集まって賭けごとをすると、まわりの人たちにつられて、つぎつぎに賭け続ける。あるいは、ちょっとしたきっかけで群集心理に巻き込まれて騒ぎを起こす。すっからかんになった人びとが、ちょっとした盗みを働いたりする。これは群衆性の弊害である。
トトや宝くじには、この群衆性の弊害がない。人びとは1カ所に集まるのではなく、それぞれ個人として行動する。一人ひとりが独立に判断して賭ける。冷静に行動し判断する。群衆性はない。
だから、トトの売り場は、いたるところにあるのがいい。なるべく人びとが集まらないようにしたほうがいい。分散型がトトや宝くじの良さである。
根付くだろうか
トト全国発売を控えたころ、地元のラジオ局の番組に電話出演した。人気者のタレントが、いろいろな話題を取り上げて、おしゃべりする。そこで卜卜を取り上げて「ちょっと電話でご意見を」という形である。
「ところでトトは日本の人びとの間で根付くでしょうかね」と人気者のタレントが質問した。
そんなこと簡単には分からない。
でも、日本の若者たちは、群衆性よりも分散型になってきているのではないかと考えた。
みんなで集まって「わいわい」やるよりも、一人ひとりが個人で考えて、個人で行動するようになってきているのではないか。
そうだとすれば、1カ所に集まって楽しむ競馬・競輪型よりも、それぞれが個人として楽しめるトトや宝くじのような分散型に将来性があるのではないか。
しかもトトは、宝くじとは違って曲がりなりにも自分の判断で賭けることができる。そこに現代的なおもしろさがあるから、将来、日本に根付く可能性は十分あると考えて、そのように話しておいた。
「つまり、トトはギャンブルでなくてクジということですか」と人気夕レントが言いかけたので、ぼくは、あわてて反論した。「いや、トトも宝くじもギャンブルですよ」
もちろんギャンブルという「ことば」を、どう定義するかによって話は違ってくるのだが「ことば」をもてあそぶのはやめにしたい。ギャンブルだって悪くない、弊害が問題だとぼくは考えている。 |