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サッカーマガジン 2001年3月21日号
ビバ!サッカー

トト・スポーツを考える(上)
賞金の制限は必要だろうか?

 スポーツくじ「トト」がスタートした。トトに賛成の立場だったから無事に離陸したことは喜びたい。しかし一方で「実現するまでは」と控えていた日本式トトヘの批判もある。最高賞金額の制限、神経質な規制などを、将来改めるべき点として指摘しておこう。

上限1億円に疑問?
 Jリーグ2001年度のスタートにあわせて、「トト」が3月3日から全国発売になった。スポーツくじ賛成派の一人として、無事に離陸したことを喜んでいる。いろいろ議論はあったけれど、まず日本でスタートしてみることが大事だと、ぼくは思っていた。
 さて「実現にこぎつけるまでは」と心のなかにしまいこんでいた日本の「トト」に対する批判を、このさい主張しておこう。 
 まず第一に、最高賞金を1億円に押さえたのがおかしい。賞金は無制限にすべきだった。賞金が途方もない金額になる夢のある点が、トト方式の「いいところ」だからである。夢を売るのがトトである。 
 13試合の勝ち、負け、引き分けを当てる現在の方式で、あらゆる可能性の場合の数をかぞえあげると、3の13乗の159万4323通りになる。約160万通りである。 
 売り上げの半分が払い戻し賞金にあてられる。1票100円として50円分が賞金である。
  全試合的中のみに払い戻す制度にした場合に、平均的に期待できる配当は約8千万円である。 
 実際にはチームの間に実力差がある。一方で、勝負はどちらに転がるかわからないのもサッカーのおもしろさである。順当な結果に終わって的中者が多く配当が少ないこともあるだろうが、投票者が多いときに番狂わせが続出し、的中者1人で賞金独占のケースもある。そういう場合は、1億円を大きく超える配当もありうる。

夢大きく弊害少なく
 また、的中者がいなかった場合に賞金を次回に繰り越すことにすれば十数億円の配当が期待できる場合もあり得るだろう。
 しかし、日本では、賞金の最高額は1億円に制限された。思うに、途方もない高額の可能性を社会にばらまけば「弊害がある」と考えたのであろう。あるいは「弊害」を唱えて反対する人たちに配慮したのだろう。
 これが間違っている。実は夢は大きければ大きいほど弊害は少ない。
 賭けごとの弊害の一つに「習慣性」がある。少額でもときどき当たると「次も当たるかも」と思って、際限なく賭け続けて、結局はすっからかんになる弊害である。
 当たる確率が非常に少ない場合は弊害は少ない。ほとんど当たらないものを大量に、次つぎに買う人はいないからである。めったに当たらないということは、かりに当たった場合の配当への期待は大きいということである。可能性が小さい場合には、夢は大きくふくらむ。つまり、ギャンブル性が高いほど習慣性の弊害は少ないということができる。
 トトを買う人は、サッカーの予想を楽しみながら、一生涯かかっても稼げない金額が手に入る夢に、少額を投資してみるだけである。
 ときどき当たる競馬や競輪と、めったに当たらない宝くじやトトとの違いの一つは、ここにある。
 したがってトトのよさを発揮し、弊害を押さえるには、賞金の上限を制限しないほうがいい。夢は大きく弊害は少なくである。

年齢チェックにも疑問
 「スポーツくじ」についての考えはこれまでに何度も書いてきたが、その場合にも「賞金は無制限に」というような主張は控えてきた。
 というのは「スポーツくじ」が必要かどうか、日本で実施するのが適当かどうかを議論しているときに、賞金額の制限のような具体的な施策に深入りすると、かえって議論が混乱するからである。
 大筋の議論をしているなかで、卜卜賛成論のぼくとしては、トトが日本で実施される方向で進めばいいなと思っていた。離陸させるための滑走路作りが先だと考えていた。
 滑走路ができたあと、とりあえず中距離機を離陸させる。長距離のジャンボ機を飛ばすかどうかは、その後に、ゆっくり考えたらいいじゃないか、と思っていた。だから枝葉の議論は避けてきたわけである。
 もう一つ、主張を控えていた問題がある。それは購入者の年齢制限である。トトは19歳未満の未成年者には売らないことになっている。
 制限自体には別に反対ではない。スポーツくじは、もともとスポーツ振興のための寄付のようなものである。収入のない子どもたちの、なけなしのおこづかいのなかから、寄付を出させることはない。
 しかし18歳か、19歳かをめくじらたてて調べることはない。おとなか子どもかは見れば分かる。「厳重チェック」は、反対論者に配慮したゼスチュアとして必要なのかもしれないが、未成年者購入の弊害が生じないことは、実施してみればすぐに分かるはずである。


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