ワールドカップの入場券を手に入れようと、ファンは目の色を変えているが、切符は本当に足りないのだろうか。流通機構が自由化すれば、つまりダフ屋の論理を認めれば、経済学の需要と供給の理論からみて、案外うまくいくだろうというのは暴論だろうか?
獲得あの手この手
「ありとあらゆる手を使うぞ。必ず切符は手に入れるぞ」と友人が息巻いている。日韓共催2002年ワールドカップの入場券の話である。
入場券の予約申し込み受け付けは2月15日から3月14日までである。いろいろな販売枠があって、ややこしい。ともあれ申し込みが殺到して抽選になり、大部分の人は涙を呑むことになるだろう――というのが、大方の見通しだ。
国内一般枠の申し込みは、もちろん利用する。郵便局で申し込み用紙をもらって郵送する方法もあるが、インターネット利用も便利だ。1試合について同行者含めて4人まで、5試合まで申し込みができる。
開催地優先枠にも申し込む。埼玉に住んでいるので4試合に申し込み可能だ。
サッカーファミリーの枠も使う。Jリーグの試合の入場券の裏面に氏名、住所、電話番号を記入しておけば、半券をもぎ取られたとき自動的に応募となる。
これだけやっても、抽選に当たらないかもしれない。
大会のオフィシャル・サプライヤーになる企業にコネを求めて、スポンサーの優先購入分を分けてもらう手もある。
韓国での試合も見よう。韓国で発売される切符を手に入れよう。
FIFA(国際サッカー連盟)が扱う海外向けの枠も狙う。ニューヨーク発の「観戦ツアー」に参加するのはどうか。出場国が決まったら、その国の応援団にもぐり込む手はないか?
見たい人が見られない
というように、友人はあの手この手を考えているのだが、ほんとに切符は足りないのだろうか?
入場券の総枚数は、試合数64とそれぞれの試合の競技場の収容人員によって決まっている。ざっと見積もって300万席くらいありそうである。ただし日韓共催だから、日本ではその約半分になる。
JAWOCの発表では「日本国内で開催される32試合の販売可能総席数は135万席」である。「まあ、そんなもんだろうな」と思う。
これが国内販売分と海外販売分に等分される。日本国内で売られるのは約67万5千枚になる。そのなかにスポンサーの優先枠が4万5千席ある。これを差し引くと63万席である。これを試合数で割ると1試合平均2万枚を切る。
「親善試合でも国立競技場に5万人が集まることがあるのに、ワールドカップで2万枚ではとても足りないよ」と友人は計算している。
でも、そうだろうか。
購入枠が細かく分けられているから抽選になったら、とても当たりそうにないように見えるが、4万人収容のスタジアムには4万人入るのだ。切符はあるに違いない。
ただし、日本国内に、にわかワールドカップ・ファンが急増しているので、もともとの本当のサッカー好きの手に渡らない可能性はある。
友人は、せっせと貯金をしてイタリアへも米国へもフランスへも見に行った。ところが地元の日本では、切符がなくて見られないかもしれない。だから焦っている。
ダフ屋解禁?の勧め
「切符がない」といわれた前回フランス大会で、試合当日に現地で切符を手に入れた経験がある。
ジャーナリストとしてADカードを持っていても、一つひとつの試合は記者席の切符の割り当てを受けなければならない。これが試合によってはもらえない。サンドゥニで行なわれたフランス対クロアチアの準決勝は、とても割り当てをもらえそうになかったから、地下鉄の駅を下りてスタジアムへ行く途中で切符を買った。ダフ屋を利用したのである。値段は日本円にして2万円くらいだった。日本で円建てで買ってきた人のものよりやすかった。
ダフ屋には弊害もあるだろうが、いいところもある。というのは切符がマーケットで自由に流通して、ほんとうに欲しい人の手に入るようにできるからである。価格は経済学の教科書に書いてあるように、需要と供給の関係で決まる。ダフ屋は不正でも、価格自体はマーケットがオープンであれば不適正ではない。
細かく優先枠を分けたり、公平に抽選することは、必要であり、止むを得ないと思う。しかし、それほど欲しいとは思っていなかった人の手に渡るのを防ぐことはできない。
そこで、いったん主催者の手を離れた切符は、あとは自由にマーケットを泳ぎ回らせてもいいんじゃないかと思う。
多くの人の考えとは正反対で、暴論であることを承知のうえでいえば「ダフ屋公認」「規制撤廃」の主張である。
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