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サッカーマガジン 2001年2月7日号
ビバ!サッカー

国見の戦法は単純だったか?
高校選手権の勝因を考える!

 正月の高校選手権で、長崎県代表の県立国見高校が圧倒的な強さで優勝した。夏の高校総体、秋の国体とあわせて3冠である。その国見の戦いぶりに対して「蹴って走るサッカーだ」という非難めいた声が出ていた。果たしてそうだろうか? 改めて国見の勝因を考えてみよう。

理想のサッカーは?
 高校選手権決勝の日、1月8日の朝の東京は雪だった。国立競技場のグラウンドはどうだろうかと心配だったが、緊急招集された都内の高校のサッカー部員が、きれいに雪掻きをして、乾いたきれいな芝生が用意されていた。記者席も濡れないように、きれいに拭いてあった。きちんと対策を講じた先生方と高校サッカー部員に熱い感謝の気持ちを表したい。
 決勝戦のころは、雪は完全にあがっていた。試合は3対0で国見が草津東に完勝。圧倒的な強さである。この決勝戦にむけて、みごとに仕上げられたチームだった。
 表彰式のあとで、小嶺忠敏総監督の記者会見があった。前年の4月に校長先生になったためか「総」の字がついているが、実際には現場の監督であり指導者である。
 記者会見の最初に「小嶺先生の理想のサッカーは、どのようなものですか」という質問が出た。
 別にどうってこともない質問のように聞こえるが、その裏に「蹴って走るサッカーでいいのか」という批判がこめられているようにも感じられた。というのは、縦に蹴って相手の守備ラインの裏をつく国見の攻めを、技術や組織力を生かさない単純なサッカーだと見る意見が、記者仲間のなかから出ていたからである。
 小嶺総監督は「県立の高校で理想の選手を自由に集められるわけではないから、自分の理想のサッカーをすることはできない。集まった選手を生かしたサッカーをめざす」と、ちょっと肩透かしの答をした。

蹴って走るサッカー?
 というわけで「蹴って走るサッカー」についての議論は、表面には出なかったのだが、サッカー・ジャーナリストの一部が、国見のサッカーのスタイルを批判的な目で見ていたことは確かである。
 ヨーロッパや南米のトップクラスのチームは、長短のパスを緩急自在に組み立てる。それを見慣れた目には、国見のサッカーが、かなり単純に見えるのだろう。
 ぼくの考えは違う。高校選手権で見せた国見の攻めは、それほど単純ではない。狙いがあって、前線に走り出る味方に合わせて長いパスが渡る。
 ぼくの持っている「蹴って走るサッカー」のイメージは違う。前線に大きく蹴って、そこヘフォワードがなだれこむ攻め方である。 20年くらい前までは、そういう攻めも日本の国内では、まだまだ有力で「百姓一揆(ひゃくしょういっき)」などと呼んだものだ。それにくらべれば国見の攻めは、はるかに高級にみえた。
 とはいえ、準決勝、決勝の攻めが大きく縦に蹴る攻めだったことも間違いない。とくに準決勝の富山一との試合の前半は、放り込みの強攻策が目立った。
 決勝のあとの記者会見で、そのことを質問したら、小嶺総監督は「あれは意図的に、そうしたのです。早めにボディーブローを打って相手を疲れさせようという目的でした」と答えた。
 肉体的に疲れさせるよりも、相手をおびやかして、精神的に疲れさせる狙いだったのだと思う。

監督のチーム作り
 高校チームの監督にとって、いい素材を集めて育てることも重要な仕事だが、手持ちの駒でチームを作り上げて、連戦の勝ち抜きトーナメントを勝ちあがることが最終の目標である。これは、現在の日本のサッカーの構造のなかで高校選手権が置かれている立場から生まれる結果である。勝つための戦法を批判されても勝たなければ監督の立場としては答えようがない。
 それじゃあ、小嶺総監督は「勝つためのサッカーで選手をスポイルしているのか」と言えば、そんなことはない。
 この大会で、国見の大久保嘉人と松橋章太が一躍、注目のスターになった。
 「大久保は中学のときにU−15の日本代表に選んでもらえなかった。松橋は県選抜にも入っていなかった。それが、ここまで伸びてくれた」と小嶺総監督は言う。誰が素質を認めたのかといえば国見の小嶺総監督が認めたのである。その素質をどこで伸ばしたのかといえば国見高校のサッカー部で伸ばしたのである。それが高校選手権の舞台で脚光を浴びたのだから「批判を受けるいわれはない」と言いたいところだろう。
 ところで、国見の勝因について、一つだけ特記しておきたい。それは中盤の底の守りが非常に良かったことである。田上渉と川田和宏の2人が厳しいプレスの中心となって、相手の攻めを次つぎにつぶした。
 小嶺総監督は、持ち駒を生かして、守りの組織も、ちゃんと作り上げていた。


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