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サッカーマガジン 2001年1月24日号
ビバ!サッカー

トルシエ監督にサッカー賞
続投決断の岡野会長は技能賞

 ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン!特別に大きな鳴り物で2000年の「日本サッカー大賞」を発表したい。独断と偏見をもって、わがビバ!サッカーが選考する伝統のこの表彰は、賞金も賞状もないが、日本のサッカーの歴史を誌上にきざむ記念碑であり、世紀を越えた公正な評価である。

異文化突破の功績
 ジャジャーン!
 20世紀最後にあたる2000年の日本サッカー大賞は、良識ある衆目の一致するところ、日本代表チーム監督のフィリップ・トルシエに決定いたしました!
 「衆目が一致するって?」と異議をとなえる友人がいる。「トルシエ批判もまだ、ずいぶんあるぜ」
 もちろん。
 古き、なつかしき時代(「良き時代」ではない)の精神主義と、純粋でナイーブな排他主義の志士たちが、トルシエ排斥を、いまなお主張していることは、よく知っている。それは幕末の尊皇攘夷を思わせるものがある。
 でも、知ってるかい?
 尊皇攘夷をとなえた志士たちの多くは志なかばに殺され、生き残った人たちは、明治維新のあとには手のひらを返したように開国して西欧の文明開化を推進したのだった。
 だから衆目一致に「良識ある」と形容句を付けておいたわけである。日程消化の親善試合にすぎない日韓戦が引き分けに終わったのを材料に鬼の首でもとったようにトルシエの用兵を批判する攘夷派がいる。そういう人たちは「良識ある」の範囲から除外したわけである。
 トルシエ監督は、そういう異文化理解の能力のない連中に正面から戦いを挑み、自分の考えを曲げずに中央突破を試みた。その結果、アジアカップで優勝して監督の座を確保した。異文化を克服したのではなく、異文化を突破した。その点を評価して大賞を贈ることにする。

巧妙だった岡野会長
 日本サッカー協会あるいはJリーグの一部の幹部たちが「トルシエおろし」を推進したのに抵抗した動きが三つあった。
 一つは、わが「ビバ!サッカー」をはじめとするマスコミである。ただし、マスコミのなかには、トルシエおろしの片棒を担いで、しつこくキャンペーンをはった一部のスポーツ新聞もあって、必ずしも一枚岩だったわけではない。
 もう一つは、日本代表チームの選手たちである。トルシエが日本のスポーツの伝統的なやり方とはまったく違う手法で、サッカー協会と対立したにもかかわらず、選手たちはトルシエを支持していた。選手たちのなかには、トルシエから手厳しく批判された者もいたが、そういう選手たちでさえもトルシエの立場と能力は認めていた。
 さて三つ目は、日本サッカー協会の岡野俊一郎会長である。岡野会長が最終的に「トルシエ続投」を決断し、これが決定打になった。
 岡野会長は協会内の反対論を押さえ、権限一任を確認し、自分自身で結論を出した。その方法もタイミングも巧妙だった。
 岡野会長は、もう一つ、別の問題で技能を発揮している。
 それは2001年のコンチネンタル・カップの日本開催をめぐるFIFA(国際サッカー連盟)との駆け引きである。FIFAの言いなりにならずに、適切な妥協点を求めた。その手腕を評価したい。
 というわけで、岡野会長に技能賞を贈ることとする。

殊勲名波、敢闘は通訳
 殊勲賞は名波浩選手に贈る。
 名波は1999年のコパ・アメリカのとき、トルシエ監督に「お前は永久にリーダーにはなれない」と手厳しく批判された。しかし、めげることなくイタリアに天地を求めて飛び出し、戻ってくるとアジアカップでは、押しも押されもしない日本代表のリーダーだった。その「めげない精神」に敢闘賞である。
 獅子は我が子を千仞(じん)の谷へ落とすという。それでもめげずに、はい上がってくるようでないと百獣のリーダーにはなれない。トルシエに冷たく切られた選手は再びはい上がってくることを期待されていると思わなければならない。
 敢闘賞はトルシエの通訳を務めているフローラン・ダバディさんに差し上げる。
 トルシエが更衣室のなかを動き回りながら激しい口調のフランス語でわめきたてるのを、いっしょに動き回りながら激しい口調の日本語で通訳する。その様子がテレビの番組で紹介されてファンをびっくりさせた。それがまた、パロディーふうにテレビのコマーシャルになって人気を集めたという。
 シドニー・オリンピックの準々決勝で米国にPK戦で負けたあとのインタビューでは、通訳をしながら涙を流した。それでますます人気が高まったらしい。実はテレビのCFもシドニーからの中継も、ぼくは見ていないのだが、友人たちが「あれはよかった」と推薦するから、ここに敢闘賞を贈ることとする。


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