シドニー・オリンピックのサッカーについて、まだ書きたいことがいろいろあるのに、もうレバノンのアジアカップである。週刊誌が追い付けないくらい。スケジュールはめまぐるしい。序盤のグループリーグで日本は大量得点。調子が良すぎるのが、かえって心配だ。
トルシエ監督の自信
「アジアカップでは、優勝しなければならない」
日本を出発する直前の記者会見でトルシエ監督がこう言うのをテレビのニュースで聞いて「おや」と思った。話しているフランス語を理解したわけではない。画面の下の方に出るテロップの翻訳に「優勝」となっていたのだが、話している表情にも自信と決意があふれていて「ほんとに優勝に自信をもっているらしい」と思った。
シドニー・オリンピックに行く前は、こういう言い方はしなかった。
「ベストのパフォーマンスをお見せします」と繰り返した。「最高の成績をあげます」と訳すよりも「最善を尽くします」と言ったほうが近いだろう。いい仕事ができると自信をもっているが、結果は相手があることだからわからない。そういうニュアンスだったと思う。
いまから振り返ってみても、南アフリカ、スロバキア、ブラジルのグループに入って「必ず勝ちます」ということは難しい。ほかの国の専門家から見れば、アフリカ、欧州、南米のサッカーの方が日本より格上である。日本のファンやジャーナリズムが、簡単にメダルを期待するのにとまどいとプレッシャーを感じて、言い回しが慎重だったのは当然だろう。
ところが、こんどは「優勝」を口にした。自分のチームとそれをサポートしてくれる体制を信頼できるようになったのだろうが、アジアのレベルを軽く見て足をすくわれないように気をつけてほしいと思った。
サウジ戦の大勝
はじまって見ると、グループリーグの最初の2試合で大量得点。2連勝で決勝トーナメント進出をはやばやと決めた。予想以上の猛ダッシュである。
10月14日にサイダで行なわれた第1戦は、サウジアラビアに4対1だった。はじめから日本のペースで、攻めはあざやかだし、守りも危なげがない。1失点は試合終了の直前に、相手が大きくゴール前へあげたボールを森岡がヘディングでクリアーしそこなったオウン・ゴールだった。気のゆるみといえば気のゆるみだし、ゴールキーパーの川口との連係がまだ十分でなかったともいえるのだが、すでに4対0とリードしていたあとだから、テレビでお茶の間観戦をしている身にとっては、単なるご愛敬である。
スタートメンバーのツートップは高原と柳沢で、オリンピックのときと同じコンビである。
オリンピックのときは、高原が突破役で柳沢がポスト役という感じで役割分担していたが、高原が思い切りよく、ぐんぐん前へ出るのに対して、柳沢はポスト役に徹して、あまり目立たなかった。そのために応援ツアーのスタンドから「ヤナギ、寝てるのか!」と痛烈なヤジが飛んでいた。たしかに、柳沢がもう少し積極的に前を向くプレーをすればいいのにとは感じたが、役割分担の性質を考えると柳沢を戦犯扱いにするのは酷だった。
その柳沢が、前半26分に先制点をあげた。「これで気分をよくするだろう。いいぞ」と思った。
ウズベキスタン戦
「幸先いいぞ」と思う反面で、あまりの楽勝に、ちょっと不安な気もしてきた。
サウジアラビアは前回のチャンピオンで、今回も優勝候補の一つにあげられていた。しかし、これに大勝したからといって、日本がアジアのレベルから大きく抜け出したと思ったら間違う。
今回のグループリーグは、3組に分かれていて、各組の2位までだけでなく、3位からも2チームが準々決勝に出られる。12チーム中の8チームが進出できるわけである。だからグループリーグを全力で戦って手の内を全部さらすことはない、ということもできる。 「初戦は引き分けでいい」と考えるのも、こういう場合の一つの常識である。サウジアラビアのマチャラ監督は、そういうつもりだったかもしれない。それが意外な大敗で翌日には、たちまち解任されてしまった。
日本は第2戦でもウズベキスタンに8対1。初戦をさらに上回る大勝だった。10月17日、同じサイダのスタジアムである。合計12得点は多すぎる。手の内を全部さらしてしまったのではないかと、かえって不安がつのってきた。
「戦略的に引き分けを狙うようなことはしない。あくまでも攻める哲学をつらぬく」というのが、トルシエ監督の方針である。日本は、その方針どおりにスタートした。
だが、他グループには定石どおりに用心深くスタートしている優勝候補もいる。一発勝負の勝ち抜き戦で何かおきても不思議ではない。
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