日本のオリンピック代表は、よく戦った。「最善のパフォーマンスを見せよう!」というトルシエ監督の出発前の言葉を裏切らなかったと思う。メダルは問題じゃない。一つーつの試合を戦うこと、それによって2002年のワールドカップのために経験を積んだ事が貴重だった。
二つのポイント
シドニー・オリンピックのサッカーを見て二つのことを考えた。
第一は「トルシエ続投は正解だった」ということである。トルシエ監督が、これまでの2年間に一つ一つ積み上げてきた成果が、真剣勝負のなかで発揮されていた。
フラット・スリーや両サイドの使い方など戦術面のこともあるし、俊輔、稲本を軸にしたチーム編成のこともある。さらに、練習では型の決まったシステムの機能を繰り返しながら、試合では一人一人のプレーヤーに個性と自主性を発揮することを求めたチーム作りの考え方がある。
そういう積み上げが、何のためであったかが、現地で試合を見ていてよく分かった。試合ごとの用兵については、分からないこともあったけれども、それは改めて論じることにしよう。
第二に感じたのは、そうはいっても、世界レベルでは「組織力だけでは通用しない」ことである。
日本のプレーヤーは、ボール扱いのテクニックと戦術判断のインテリジェンスでは、トップ・クラスだった。「ミスの最も少ないチームの一つ」だっただろう。
しかし、南米やアフリカのチームにいるような、飛び抜けたスピードや超人的なテクニックを持ったプレーヤーがいない。それをカバーしていたのはチームとしての組織力で、これは抜群ではあったが、若手が主力のオリンピックのレベルでも、組織力だけでメダルを狙うのはむずかしい。
「超人」が欲しい
2002年のことを考えると、トルシエ体制で、このまま進んでいくのがベストである。いまのところ、ほかに適当な人物を見出しにくい。航路のなかばで船頭をかえる理由も見当たらない。日本サッカー協会の岡野俊一郎会長が、オリンピック前にトルシエ監督との再契約を決断したのは大英断だったと思う。
選手は、これからの2年間に何人も入れ替わるだろう。出ていく選手もいるし復帰してくる選手もいるだろう。日本のサッカーの選手層は厚くなっている。底辺も広くなっている。レギュラーでも安住してはいられないし、候補にあがっていない選手にも門は大きく開かれている。
だが、それに加えて、2002年のために、ぜひさがし出したいのは飛び抜けた運動能力をもつプレーヤーである。
がっちりしていて、ジヤンプカがある。飛び抜けたスピードでドリブルして相手をおびやかす。いわば速筋線維の割合の多い筋肉をもった、大型の選手である。しかも、かなりの程度にサッカーの技術とセンスを身につけていなくてはならない。一人でも二人でもいい。そういう選手をさがし出してきてほしい。そうなれば作戦や用兵の選択肢が大きく広がる。
これは難しい注文である。もともと日本人は、そういうタイプではない。島国だから人種間の混血によって、そういうタイプが出てくる可能性も少ない。でもワールドカップで上位に出るためには「超人」が一人は必要である。
手に汗握った米国戦
オリンピック・サッカーのグループリーグを見たあと、キャンベラから日本へ戻った。準々決勝の日本対米国はテレビで見た。9月20日、アデレードでの試合である。
米国チームはグループリーグで一度見ている。9月15日にキャンベラでカメルーンと1対1で引き分けた試合である。そのときに「これは日本と当たるとおもしろい」と思った。
米国の若い選手たちは、ほとんどが、きっすいの米国育ちである。欧州や中南米から移ってきたばかりの移民の子弟ではない。米国出身のサッカーが根を下ろして、若い芽が育ってきている。
試合ぶりが一生懸命で、若わかしいアメリカン・スピリットがほとばしっていた。カメルーンに対しては互角というより、むしろ優勢だった。
このスピリットが、ひたむきにぶつかってきたら、日本も気力をふりしぼって応じることになり、スピリットがぶつかりあう好試合になるだろうと思った。
準々決勝でこのカードが実現し、本当に手に汗を握るすばらしい試合になった。日本は勝利寸前にPKをとられて延長引き分けにされたが、米国がPKのチャンスをつかんだのは最後まであきらめない、ひたむきな反撃の結果である。
PK戦は抽選の代わりで「運のもの」だから仕方がない。プラティニもジーコもはずしたことがある。ヒデだってはずすことはある。
日本にとって残念だったのは「あと2試合」の厳しい試合の経験を積む機会を得られなかったことである。
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