オリンピックの取材に出発する前に二つのことを準傭している。そのうちの一つは前号に書いたビバ!サッカーのサロンである。もう一つは2002年のワールドカップを共催する日本と韓国のサッカー・ジャーナリストの会議を、11月に新潟で開催する計画だ。
壮行試合の成果
「日本のサッカーはメダルをとれるか!」と、この号ではオリンピックについて書くべきところだろうけれど、前号に続いて、オリンピック後に計画しているイベントについて紹介したい。現地へ行ったら、いやでもオリンピックについて書くことになるだろうからである。とはいえ、出発前の日本チームの壮行試合についてだけは触れておくことにする。
日本オリンピック・チームは、9月2日に大阪の長居競技場でクウェートに6対0で大勝し、5日に東京の国立競技場でモロッコに3対1で逆転勝ちした。
日本にとっても、相手チームにとっても、オーストラリアへ行く前のウォームアップであり、勝敗は焦点ではない。また相手チームは、遠征の途上で体調十分ではないのだから、日本が連勝を手放しで喜ぶべき試合ではない。しかし、日本チームの戦いぶりは非常に希望の持てるものだった。1次リーグ突破は夢のような話ではないことを示してくれた。
例によって、試合後のトルシエ監督の話は、なかなかおもしろい。
クウェートとの試合では「ハーフタイムに、エゴイスティックに(自己中心的に)やれと指示したのだが、選手たちは、しっかりやってしまった」と、まじめな顔で話した。
これはトルシエ流の「難解なジョーク」である。後半、ヒデ(中田)と俊輔(中村)を第2線に並べて競わせようとしたが、2人が協調してゴールをあげてしまった、ということだろう。
記者たちの連帯
モロッコとの試合のあとでは、この試合での選手起用のねらいを、くわしく話してくれた。前半にボランチを稲本ひとりだけにし、両サイドに守りのいい三浦と明神を起用した。その理由を「わざと試みたんだ」と話したのも、その一つである。
この点は、トルシエが自分から話したわけではない。本誌でおなじみの後藤健生氏が質問し、トルシエがそれを確認した形だった。
こういうやりとりは、質問する側と答える側の呼吸が合って、はじめて生まれるものである。トルシエと報道陣とのトラブルが、時として新聞に載るけれども、ぼくのみるところ、両者の関係は慶賀すべきことに、おおいに改善されつつある。
こういう共同記者会見での「やりとり」は、記者たちにとって「痛し、かゆし」のところがある。
いい質問をして、いい答えを引き出すと、それが自分だけの財産にならないで、記者会見に出席しているライバルの記者たちの財産にもなるからである。しかし、共同記者会見で質問しないで、あとで単独に聞きにいっても、相手はまともに答えてくれないことが多い。おおぜいの記者に個別に答えるのはたいへんで、共同記者会見に応じる意味がなくなるからである。
東京の新聞社で働いていたころ、その点は、ぼくは割り切っていた。大事なのは大衆に正しい情報を伝えることだから、そのためにベストの方法を選ぶべきである。ライバルの記者たちとの連帯も、時としては、たいせつである。
交流と情報交換
ところで「日韓サッカー・ジャーナリスト会議」である。
なぜ新潟かというと、2002年ワールドカップの日本の会場でただ一つ日本海(韓国語では東海)側の都市だからである。日本と韓国は環日本海で一衣帯水だ。ソウルと新潟の間には空路の直行便もある。新潟県や地元の有力新聞である新潟日報にもお願いして、ぼくのアイデアに賛同してもらった。
1964年の東京オリンピック以来の韓国の友人が、ソウルでスポーツ評論家として活躍している。その友人に相談して、韓国からサッカーとスポーツのジャーナリストを7人招待することにした。
テーマはワールドカップと日韓関係だ。11月7日(火)の夕方に、日韓から1人ずつが出て講演会を開く。翌8日(水)は、午後に4グループに分かれて公開分科会、夕方にシンポジウムをやる。大住良之、後藤健生、田村修一、増島みどりなど、本誌でおなじみのライターも協力してくれる。全国の新聞や雑誌のサッカー・ジャーナリストにも参加を呼び掛けている。
ワールドカップのときにはライバルとして取材、報道をすることになるだろう。しかし、いまは、いい情報を大衆に提供するために交流して情報を交換しようという趣旨だ。
会議は全部、一般の人びとにも公開する。参加を希望する人はファクスで問い合わせを。
「日韓サッカー・ジャーナリスト会議実行委員会事務局」
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