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サッカーマガジン 2000年9月13日号
ビバ!サッカー

五輪での戦いとW杯への構想
トルシエ監督の狙いはなにか

 いよいよオリンピックだ。心はシドニー、ではない、キャンベラとブリスベンヘ向いている。代表メンバーの人選は適切だったか、トルシエ監督の準備に納得できるか、などと議論はいろいろ尽きないようだが、オリンピックから2002年へ、どうつなぐのかもポイントだろう。

五輪とW杯の違い
 本音をいうと、ぼくはワールドカップが大好きで、オリンピックが嫌いである。というのは、東京の新聞社でスポーツ記者をしていたとき、2年ごとにオリンピックとワールドカップに出張していたが、オリンピックは苛酷な労働で、ワールドカップは楽しい仕事だったからである。
 オリンピックは大勢のスタッフといっしょに出掛け、現場で取材していたころもサッカーには行くことができなかった。全体を統括する立ち場になったときはプレスセンターに閉じこもったきりで競技を見ることができなかった。早朝から夜中まで働き詰めで、仲間をまとめるのに苦労し、他社との競争に神経をすり減らした。
 一方、ワールドカップのほうは、のんきなものである。ひとり旅で誰にも気兼ねする必要はない。試合は当時は2〜3日おきで、見るのは1日に1試合だけである。各地の会場へ移動するのは大変だが、それも各地の風物と食事とワインを考えればむしろ楽しみである。そのころは、日本チームは出場してなくて、日本の新聞社はワールドカップに興味を示していなかったから、他社の特派員と競争するよりも、むしろ協力して、なんとか自分たちの記事が紙面にのるように策謀したくらいである。
 いまは違う。日本のサッカーの国際大会での活躍は、マスコミの大きな関心事で、特派員の数も多いし競争も激しい。オリンピックでも日本の特派員たちが、キャンベラとブリスベンに群がるだろう。

W杯へつながる
 嫌いなオリンピックだったが、今回のシドニーへは、自分から「行って見ようか」という気になった。
 オリンピックでは、サッカーの試合は、いくつかの都市に分散して行なわれる。今回、日本の試合は、キャンベラとブリスベンである。
 新聞社の特派員としてオリンピックを取材していたころは、地方都市のサッカーに出褂けることは許されなかった。現場に出してもらえるにしても、今回にたとえていえば、シドニーで陸上競技場と選手村をうろうろさせられるくらいである。
 だが、いまや、ぼくはフリーな立ち場である。サッカーだけを見ようじゃないか、という気になった。
 ワールドカップに比べると、オリンピックのサッカーのレベルは高くない。しかし、日本の活躍が期待できる。それに、オリンピックのサッカーは2002年のワールドカップにつながっている。仕事に追われずに、楽しみながら、じっくり見ておく価値はある。
 トルシエ監督は、今回のオリンピックを2002年への日本代表づくりの準備の一つとして位置付けているだろう。ホップ・ステップ・アンド・ジャンプの最初のステップと考えているのではないか。
 しかし、一方で日本人は世界一の「オリンピック好き」だから、結果を求められるのも止むを得ない。前回のアトランタではできなかった決勝トーナメント進出を期待されているので、それを目標にすることになる。これは、なかなかのプレッシャーである。

UAEとの試合から
 オリンピック直前の1カ月の間に日本国内で三つの国際試合が組まれた。8月16日に広島で行なわれたアラブ首長国連邦(UAE)との試合はフル代表の国際試合だったが、オリンピックのための準備としても注目を集めた。
 トルシエ監督は、この試合で三つの狙いを持っていたようだ。それを試合のあとの記者会見で明快に説明した。
 まず、1カ月後のオリンピックへ向けて、いいムードをつくることである。「勝つことによって前向きの雰囲気を作り出すことができた」と語った。
 次に、2002年のワールドカップへ向けてのチームづくりのスタートである。
 「われわれは、いま大きな工事現場にいる」という表現だった。
 第三には、オリンピックへ連れていく選手を決める資料にすることだった。「選考試合」という意味ではない。この時点でどのようなチームを作るか、だれを選ぶか、という構想はすでにできていただろう。しかし、一人ひとりの選手の体調などをチェックする必要があった。
 UAEとの試合は、3−1の快勝だった。Jリーグのシーズン中であり、非常に暑い日だったから、選手たちの調子はいいとはいえなかったが、技術も戦術能力もチームとしてのまとまりも、明らかにアジアのトップクラスであることを示した。
 9月14日の第1戦、キャンベラでの南アフリカとの試合が、まず楽しみである。


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