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サッカーマガジン 2000年8月23日号
ビバ!サッカー

少年サッカーとクラブの組織
塩竃FCの試みに注目する(上)

 少年サッカーが三つの問題を抱えている。一つは少子化、もう一つは指導者不足、さらにもう一つはJリーグに加盟するような広域の強力クラブの登場である。そのなかで、新しい地域クラブの在り方を求めて奮闘している宮城県の塩竈FCの例を紹介しよう。

三つの問題点
 兵庫県の加古川市で夏休みを迎えている。東京の新聞社でスポーツ記者をしていたときは、毎年、この時期になると炎天下の「よみうりランド」へ全日本少年サッカー大会を取材に行ったものだ。この大会は前身の少年団大会から数えると34年目になる。そろそろ大会の在り方も、少年サッカーの育成方法も考え直す時期にきているのではないか。
 というのは、小学校単位の少年サッカーチームを維持・運営するのが、なかなか難しくなりつつあるという話を聞くからである。
 一つの問題は少子化である。
 子どもの人口が、どんどん減っている。サッカーの好きな子どもたちは増えているので、少年サッカーの総人口は心配ないのだが、一つの小学校あたりの子どもの数が激減して、小学校単位のスポーツは維持できなくなりつつあるという話である。
 もう一つの問題は、指導者の確保である。
 高校や大学のサッカー部は、先生のなかに指導者を求めることができなくてもOBが監督になることができる。しかし小学校の場合は、先生か父兄のなかに熱心な人がいないと面倒をみることができない。小学校単位のチームを維持できないと、指導者の確保も難しい。
 さらに、Jリーグのクラブの登場がある。強力なクラブが、広い地域を対象に少年の育成をはじめて、優秀な素材をかき集めるようになった。そうすると、こつこつと地域でチームづくりをしていた人たちは、世話をする意欲を失ってしまう。

二つの誤解
 そんななかで、新しい道を求めて奮闘しているクラブを取材した。宮城県の塩竈FCである。
 このクラブについては、3月末の日本スポーツ社会学会で発表された事例研究を、4月にビバ!サッカーで紹介したことがある。それを読んで、指導者の小幡忠義さんが電話をかけてこられた。「あの記事には誤解がある」ということだった。
 小幡さんと知り合ったのは、30年くらい前のことである。わざわざ銀座の新聞社に訪ねてこられて、少年サッカーの育成とクラブづくりについて話し合った。思えば二人とも、かなり時代を先取りしていたものだと自慢したい。
 ところが小幡さんが「誤解だ」というのは、こうである。
 小幡さんは、小学校区のサッカー少年団育成からスタートして、塩竈市全域を対象とする塩竈フットボール・クラブを組織した。その影響で、小学校区で一生懸命やっていた少年団が消滅した――という学会での報告を紹介したのだが、これがまず正確でなかった。 小学校区のサッカー少年団のなかに維持できないところが出るのは、少子化と指導者確保の困難が主な理由である。複数の小学校区にまたがるクラブを作るのは、むしろ、この問題を解決する一つの方法である。
 もう一つの問題点は、全日本少年大会で勝つための、いわゆる「選抜FC」として塩竈FCを結成したかのような誤解を、与えかねない書き方だったことである。

常設のクラブ
 「選抜FC」とは、小学校のサッカーを育成しながら、市内の小学校から選抜した選手でチームを作って全国大会に出るやり方である。静岡県の清水FCがやりはじめて成功し、その後、まねをするところが各地に出た。1970年代以来の話である。
 これは選抜チームを、単独のクラブのように装って全国大会で勝とうとするのだから「いんちきだ」という批判が強くあった。
 以前のぼくの記事が、この清水FCと比較しながら塩竈の事例を紹介したので誤解をまねいたかもしれないが、塩竈FCは、清水方式の「選抜FC」とは違う。
 清水方式では、臨時の選抜チームを単独のクラブとして全国大会に登録し、大会がおわると選手たちは、母体の小学校チームに戻る。
 塩竈FCのほうは、常設の地域のクラブとして運営することを目的としている。選抜チームを編成して全国大会に出るのは目的ではない。
 ともあれ、4月の記事は学会発表の紹介で、ぼくが直接、取材したものではなかった。 
 それを読んで、小幡さんが電話をかけてきたので、これは現地に出掛けて直接、話を聞かなくてはなるまいと考えた。そこで、6月11日に仙台で日本代表チームの試合があったのを機会に小幡さんを訪ねた。
 トルシエ騒動などを取り上げるのに追われて、塩竈の取材をなかなか紹介できなかったが、遅ればせながら今回から3回連続で取り上げて、少年サッカーとクラブ組織の問題を考えることにする。


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