世界の8カ国の大統領や総理大臣が集まって第26回主要国首脳会議が7月21日から3日間、沖縄県の名護市で開かれた。成果があったかどうかは、ここでは論じないが、沖縄が世界の注目を集めただけでもたいしたことだ。2002年の日韓ワールドカップではどうだろうか?
平和の礎
米国のクリントン大統領が、稲嶺沖縄県知事と並んで、沖縄県糸満市の「平和の礎」の間を歩く姿をテレビのブラウン管でずっと見続けた。
「平和の礎」の「礎」は「いしずえ」ではなく「いしじ」と読むらしい。太平洋戦争の終わりごろの沖縄の戦闘でなくなった20数万人の名前を、敵も味方も、国籍の違いもこえて刻んだ石碑が並んでいる。沖縄戦の悲劇を思い起こさせ、それを悼む「平和祈念公園」があることを知らせたことだけでも、このテレビ中継は意味があった。
南国の熱い陽射しが降り注いでいるなかを、黒っぽい背広を着て、ネクタイをきちんと結んで歩き続けるのは、たいへんだっただろう。でも、お二人とも非常にまじめな顔で、話しながら歩き続けた。
平和を祈る火が燃えている前で、二人が黙祷を捧げた。その火の前へ進むとき、後についていた通訳の女性がいっしょに出ていこうとした。テレビ画面の外から、大統領の警護官だろう、屈強な男が飛び出して、通訳を画面の外に連れ出した。
祈りを捧げる場面に通訳は必要ない。テレビの画面効果のうえでは邪魔である。この場面では通訳は退くことになっていたのだろう。それを通訳が忘れたのだろうと想像した。
このシーンを見て、クリントン大統領と稲嶺知事が、真剣に話をしていたのだということが分かった。単なる儀礼的な話をしていたのではない。通訳が引き込まれるほど重要な話をしていたに違いない。
地方の自主性
テレビの中継では、二人の話の中身は聞こえなかったのだが、あとで新聞を読むと、沖縄にある米軍の基地のために県民が苦しんでいることなどを、稲嶺知事は率直に、直接、クリントン大統領に話したのだということである。
新聞報道をうのみにするほど、ぼくは純情ではない。大統領と知事の行動のための「シナリオ」が、あらかじめ作られてあったのだろうとは思う。しかし、そのシナリオを通訳が忘れるほど二人の話が真剣であったのだろうと、ぼくは想像した。
シナリオはあったに違いない。世界の最高首脳である米国の大統領の行動が「出たとこ勝負」である可能性は少ない。
だが、そのシナリオは日本の外務省と米国の国務省が書いたものではなかったという。沖縄県が直接、ホワイトハウスと交渉して取り決めたのだという。そういう話が新聞に書いてあった。
「これだ!」と思った。
2002年のワールドカップで、こういうことができるだろうか。
たとえば、ブラジルの試合が大分に決まったとする。
そのときに、大分県がブラジル政府と直接、交渉して「ワールドカップ記念行事」を取り決めたとする。
そのとき、FIFA(フィファ=国際サッカー連盟)やワールドカップの日本組織委員会は「勝手にやるな、そういうことは中央でやる」というのではないか。
中央集権主義が地方の「やる気」を邪魔するのではないか。
20都市は団結せよ
2002年ワールドカップが近づくにつれ、この大会は「日韓共催」ではなく、日本と韓国は、単に会場都市と労力を提供しているだけにすぎないのではないか、という気がしてきている。
最終的にFIFAが主催権を持っていることは承知しているが、その権威をかさにきて、裏では広告企業のたぐいが「あれはダメだ、これはダメだ」と指図する。日本での開幕試合を、札幌と大分でやろうと計画したら、テレビ中継の器材を持っていく都合で大分はダメだといわれたという話が伝えられたが、これも、その一例だろう。
そんなにうるさく言うのなら、全部自力でやって、日本と韓国に、それぞれ会場都市の借り賃として、2千億円くらいずつ支払ってくれて、あとは自分たちで、ご自由にやってはどうかと思う。
ワールドカップは、世界へ情報を発信する機会としては、政治家のサミットよりも、はるかに大きな力を持っている。サミットは3日間だが、ワールドカップは1カ月である。
世界の政治に注目するのは一部のインテリだが、サッカーには世界のほとんどの国の大衆が注目する。
その機会に、日本も韓国と、白分たちの力で自主的に、自分たちの情報を発信できるようでありたい。
クリントン大統領と稲嶺知事が話し合う姿が、テレビを通じて多くの人に伝えられたように、自分たちの姿をワールドカップの機会に世界へ発信できるように、日韓の20都市よ、団結せよ、と叫びたい。
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