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サッカーマガジン 2000年7月12日号
ビバ!サッカー

トルシエ監督続投への決断!
岡野会長を全面的に支持する!

 2002年のワールドカップに向けて、日本代表チームの監督は、トルシエ監督続投の方向になった。力量を示し、実績を残し、選手との関係がよく、ほかに有力な監督候補がいないのだから、当然だろう。日本サッカー協会の岡野会長は、決断力のあるところを示した。

すばやい行動
 日本サッカー協会の岡野俊一郎会長の決断は、すばやかった。
 6月19日に記者会見で「トルシエ監督に10月末まで、つまりシドニー・オリンピックとレバノンのアジアカップまで日本代表の指揮をとってもらう」ことを発表した。そのさい、11月以降の新監督の候補としても、トルシエが有力であることを隠さなかった。
 翌21日には、東京のホテルでトルシエ監督に会い、11月以降の新しい契約を申し入れた。新聞には、たちまち「2002年もトルシエで」の見出しが躍った。
 正確に言えば「2002年までトルシエで」は、この時点では決まったわけではない。
 このあと、条件などについて協会とトルシエ監督との交渉があり、合意ができたところで、契約にサインすることになる。そうなって、はじめて「トルシエ続投」が最終的に決まる。
 その後、岡野会長は「金銭面で法外な要求が出ることはないだろう」といい、トルシエ監督は「欧州のクラブからも招きはあるが、もちろん日本が最優先だ」と語っている。
 一般的には、ナショナル・チームよりクラブ・チームのほうが、金銭的条件はいいことも珍しくない。
 しかし、ワールドカップ開催国の監督を引き受けるのは「やりがい」のある仕事である。
 それに不景気だとはいっても、日本の経済力はまだまだ高い。日本サッカー協会の払う金額は、そう安くはないはずである。

契約について
 3カ月にわたって続いた「トルシエ解任騒動」は、いったい何だったのか。
 ひとことでいうと「異文化理解」の問題だと思う。
 「契約」についての考え方が、日本人と欧米人では、かなり違う。
 欧米人にとっては「契約は履行しなければならない」ものであり、契約期間中は「約束した仕事」をしなければならないし、契約期間中は報酬を支払わなければならない。
 先だって巨人のガルベス投手が、1軍で使ってもらえないなら米国へ帰りたい。「解雇してくれ」と言い出した。そして1年分の年俸は全額支払えと主張した。6月3日付けのスポーツ新聞で読んだ。
 そのスポーツ新聞の見出しに「ガルベス身勝手要求、途中退団でも、年俸全額払え」となっていた。
 ここに「契約」についての考え方の違いが出ている。
 察するところ、ガルベス投手は「退団」すると言っているわけではない。自分は1軍で投げる意志はあるが、球団側に使う気がないのなら「解雇」しろと主張しているのだと思う。
 退団は、自分のほうから契約を破棄するわけだから、残り期間中の報酬はもらえない。
 しかし解雇は、球団側が契約を守らないのだから残り期間中の給料は全額払うのが当然である。
 「リザイン(退団)とファイヤー(解雇)は違うんだよ」と、だいぶ前に、米国のプロ野球関係者から聞いたことがある。

異文化理解
 ガルベス投手は、2軍に落とされたのを不満とし、1軍復帰要求を金銭をからめて駆け引きの材料にしたようだ。こういう駆け引きは米国の文化では、ふつうであっても、日本の文化にはなじまない。
 ところで、トルシエ騒動の場合はどうか。
 サッカー協会の強化推進本部のほうが、契約期間中に「解任だ、解任だ」と騒ぎ立てた。
 「働かなくてもいい。残り期間の報酬はどぶに捨てる」と言うようなものである。
 一方、トルシエ監督のほうは、協会に対して、チームを強化するための要求を歯に衣を着せずに出し、働く意志を明確にした。試合の結果について、自慢したり、言い訳めいたことを記者会見で述べたりした。これは日本の文化になじまない。このフランス人の言動に、強化推進本部の一部の人たちが「カチン」ときた、これが、トルシエ騒動の本質だろうと思う。
 しかし、いまや、スポーツはグローバルなものである。サッカーはとくに、そうである。
 そのサッカーにたずさわる協会の役員が異文化理解の能力を持たないようでは、いい仕事はできない。
 文化のせいで、選手との関係がうまくいかないのであれば、話は別だが、トルシエの場合は、選手のほうには、異文化理解の能力があったようである。
 幸いにして、岡野会長の異文化理解能力は健在だった。岡野会長を全面的に支持する。


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